「草彅剛逮捕 CM外しは逮捕されたからか?」のコメントNo.167 以下の続編エントリです。

 完全にトピずれの様相を呈してますし、1エントリのコメント数としては多すぎる状況ですので、別エントリを立ててみました。
 パブ弁!さんの考え方は、刑事司法に対するいくつかの考え方の中で、典型的な考え方の一つです。
 私は、違う考え方ですが、さらに議論するのも面白いと思ってこのエントリを立ててみました。

 誰もコメントしなければそのうち削除します。


トピずれ追記ですが、la_causetteで来られた方は下記コメントを参考にしてください。
 No.77 モトケンのコメント

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コメント(800)

パブ弁!さんの考え方は、刑事司法に対するいくつかの考え方の中で、典型的な考え方の一つです

御指摘のとおりで、私としては特に奇抜・特異なことを申し上げているつもりは全くありませんから、感情的とも思われる反応が多いことには、色々考えさせられるところがあります(法教育の重要性等)。

例えば、検察官請求の書証を原則として不同意とすべきことについては、弁護士会の研修等でも、常々その重要性が確認されています。

・モトケンさんお膝元の京都弁護士会(2項の後段参照)
http://www.kyotoben.or.jp/siritai/iinkai/41-4.html

・愛知県弁護士会(5項の(2)参照)
http://www.aiben.jp/page/library/kaihou/1707hou08.html

たしかに、書証を原則不同意にすると、モトケンさん御指摘のとおり「依頼者が被告人である期間が長期化する」ことがあり、これは、依頼者にとって不利益になる面があります。

しかしながら、「正当な権利を行使すると不利益になるから、権利の行使を控えるべきだ」という考え方は本末転倒です。

「正当な権利を行使することによって不利益が生じる」という不正義を許さないように、法廷の内外を問わず果敢に戦うことが正道というべきです。

ところで、上記の「依頼者が被告人である期間が長期化する」ことの不利益は、被告人の身柄が解放されていれば、格段に低減します。そのためにも、人質司法の打開、令状・勾留実務の抜本的改善が急務といえます。

素人はコメント禁止でしょうか?
禁止で無いと仮定して。

まず元エントリの事件で、公開されている情報から判断して、警察は逮捕は明らかに不適切です。
これに関してはここの常連皆様全員が同意なさると思います。

この事件だけを例外扱いするのでなければ、
警察が不適切な公権力の行使を行ったという事実を元に警察批判を行うのは極々まっとうなことと思いますが。

「正当な権利を行使することによって不利益が生じる」という不正義を許さないように、法廷の内外を問わず果敢に戦うことが正道というべきです。

こういうのを「教条主義」と言うんです。
“不正義に立ち向かう正義の弁護士”になったつもりなんですね。「果敢に戦う」だって。子供向けのアニメのジャックじゃあるまいし。赤ヘルや黒ヘルかぶって、40年変わらず手垢にまみれまくったスローガンにしがみついてる人たちみたい。
そういう思考形態は、高校を出るのと同じくらいの時期に卒業しておくものですよ。遅くとも大学時代には相応の社会経験を通じて小児的な「正義の味方症候群」からは足を洗っておくべきです。

 場違いかもしれませんが素人としてご容赦ください。

 おそらくパブ弁!さんの根底にあるのは,伝聞法則で「原則と例外の逆転現象はおかしい」という考えがあるやに思われます。
 とすれば,私の大学時代のつたない知識でも,刑事訴訟法が職権尋問主義を採用しながら刑事訴訟規則で当事者交互尋問主義を採用しているとか,伝聞法則の母源である英米法でも自白事件では全部同意どころかアレイメントで情状証拠を除き証拠調べすらしないのが普通である実態とか,時代の変遷によって原則と例外の逆転現象が生じている現実にも光を当ててみる必要に,いつかはぶつかると思います。
 あと門外漢からの指摘としては,法律事務所を経営するようになれば,費用対効果とくに経済的コスト(訴訟費用負担)とタイムコスト(迅速な裁判・刑事訴訟法1条)も考慮する必要にぶつかるかと思います。
 以上はコード屋ベンダー屋の独り言ボソッですので,ご容赦ください。

公開されている情報から判断して、警察は逮捕は明らかに不適切です。
不同意です。 マスコミで報じられている状況が全てであるのならば「不適切である可能性はある」とは思いますが、事案発生時点で現場に臨場していたわけではないので「明らかに」不適切だとまでは、私には断言できません。 それに、報道を見る限り、公然わいせつをとらなくても公務執行妨害で身柄を押さえることも可能な状況だったようにも思われます。 「逮捕までしなくたってよかったのに・・・」と言う一般的な感想は私も持っていますが、「明らかに不適切」との決め付けには賛成いたしかねます。

No.293 モトケン さん

依頼者が理解と納得をするためには、弁護人が取り得るオプションのそれぞれのメリットとデメリットをきちんと理解してもらう必要がありますが、ほとんどの依頼者の最大の関心事は、法の建前や理念ではなく、自らの現実的な利益不利益です。  つまり、現実的な利益不利益の見込みを説明する必要があると考えています。

このことには全面的に賛成であり、当然ながら、現実的な損得勘定は伝えなければなりません。

ただし、その前段階の問題として、被疑者・被告人が、誤った前提の下で自らに不利な思い込みをしていることが非常に多いので、その点を入念かつ慎重に確認する作業が不可欠です。

例えば、黙秘権や弁護人選任権については、形式的な告知がなされていたとしても、その重要性を素人たる被疑者・被告人に理解させるだけの適切な説明がなされているかというと、これは全く期待できないところか、黙秘権行使は人間として恥ずべき行為であるとか、弁護士はお前の味方ではないとか、正反対の「教育」を叩き込まれることは日常茶飯事です。

否認する被疑者に対し、確実な証拠があるとブラフをかけたり、どうせ裁判官はお前の言い分なんて聞いてくれないなどと迫ることも常套手段です(残念ながら、後者は結果としてその通りになることも多いが)。

要するに、被疑者・被告人が被疑(公訴)事実を認めていたとしても、それは、捜査機関の圧力によるものかも知れないし、誤った認識に基づくものかも知れないし、何を言っても信じてもらえない絶望によるものかも知れない。そして、接見時に繰り返しこれらの点を確認することで、捜査段階の「自白」が誤っていたことに、依頼者ご本人がようやく気付くということもしばしば経験するところです。

「現実的な利益不利益の見込みを説明する」する以前に、この点の念入りな、粘り強い確認を繰り返すことが極めて重要で、依頼者御自身が捜査段階供述の誤りに気付いたときは、現実的なリスクを考慮しても自らの誇りを貫きたいと仰ることも結構ありますね。勿論、刑事司法の惨状を考えれば、不条理にも「現実的な」選択を強いられることも少なくなく、そのようなときには、法律家の端くれとして、前近代的・非人道的な司法制度の存続を許していることが恥ずかしくてなりません。

にしんそばです。

真面目に刑事弁護に取り組む多くの弁護士の目から見て,パブ弁!さんの意見は極めてオーソドックスなものだと思います。

感情的とも思われる反応が多いことに,私もびっくりしています。ここに集まっておられる方々に特有の反応なのか,多くの市民の方々も同様の反応をされるのか。むしろ後者の方なのでしょうね。

パブ弁!さんが,このような敵意に満ちた環境にもかかわらず,丁寧に啓蒙の努力を続けられることに敬意を表します。コメントするに足らない攻撃的なコメントを相手にされない態度も落ち着いておられてよいなと思います。

もっとも,弁護士会の宣言や研修等をいくら挙げてみても,理解を得ることは難しいでしょう。弁護士会執行部や刑事弁護センター委員などは,「お仲間」(なんとも差別的な呼ばれ方です)扱いでしょうし,ミランダ弁http://www.mirandanokai.net/ などは,テロリスト扱いかも知れません。

しかしながら、「正当な権利を行使すると不利益になるから、権利の行使を控えるべきだ」という考え方は本末転倒です。

まったく同感です。捜査官も調べで,しばしば否認してるといつまでも出られないぞなんて脅しを使われますが,不適切な取調べの典型で到底許されるものではありません。このように言われて怒りを覚えない市民が増えれば,恣意的な為政者は楽でしょうね。

No.272 感熱紙(刑) さん

その「正義と真実」とは、あくまでも「依頼者の主張する正義と真実」であるということは、忘れてはならないでしょう。 裁判官に認められるに足る証拠や論理的な裏付けを持たない「正義や真実」の主張は、単なる言い分の域を出るものではありません。

教科書的には、「犯罪の立証をすることは検察官の責任であり、他方、被告人は無実であることの立証をする責任を負っているわけではない」とお答えすべきところです。

ただ、わが国の刑事司法では無罪推定の原則が蔑ろにされていること甚だしく、現実には「無実であることの立証」を強いられる局面(※下記)も多々生じていますので、この実態に鑑み、検察官証拠の弾劾だけでなく弁護側立証の強力化が必要であるとのエールとして受け取っておきます。その意味において貴殿の見解に賛同するものです。



例えば覚せい剤使用に問われる事案では、「〇月上旬から下旬ころ、東京都内又はその周辺において、何らかの方法により覚せい剤を体内に摂取した」という、おそろしく広汎な起訴状が許容されており、およそ反論(その日はどこで何をしていたから犯人ではない、等)のしようがありません。

そして、被告人が覚せい剤を入手した経路も、動機も、使用方法も、使用量も、薬理効果の有無も、何一つ立証されていなくとも、「尿中から覚せい剤成分が検出された」という鑑定書1本で機械的に有罪判決が出されるのが現状です。しかも、その鑑定は、警察が身内で行っている上に、鑑定試料は全量費消したことにされており、再検証は事実上不可能です。

さて、使用を一切否認する、又は、故意による摂取を否認する被告人の弁護活動として、何ができるというのでしょうか?

やれやれ、ですね。ま、サクラを聴衆の中に紛れ込ませるのはアジの基本ですもんね(苦笑)。
クリティカルな批判を受けたら『感情的』と返して逃げを打つのも、この手の宣伝活動の常套手段。説得の技術を磨くことをとことん怠り、自分たちの信奉したい”正義”に酔いしれるあたり、ホントに進歩がないですね。
ちなみにミランダの会あたりは『テロリスト』ではなく『視野狭窄を起こした独善的な“正義の味方”』でしょう。

視野が狭く思考が硬直しているから、その「運動」は広く世間に受け入れられることはないし、カルト的に同好の士ばかりで“世を憂う”ことしかできない。アホといえばアホだし、無能といえば実に無能です。ああ「世知」だとか「運動論」としての評価ですよ。「法律の知識」に限定すれば、そりゃ資格まで持ってるんだから札付き・・・じゃないや、折り紙つきなんでしょうけどね。

だからさぁ、そういう「弁護」は無理筋なんじゃないんですかねえ?
例示の事案に即して言えば、被告人が覚せい剤を摂取したという「事実」は揺らがんわけでしょう。あとはせいぜい「それと思って摂取したわけじゃない」だの「自分でやったんじゃない」等々、そこに至る経緯について弁解の余地が残されてるだけじゃないですか。
そんなもんを、なんぼ被告人が否認してるからって、まるっきりシロに出来る(しよう)なんて考えるほうがオカシイんですよ。
「どういう弁護が出来るでしょうか?」ですって?
弁護士がなに言ってんです。客観事実でもなんでも積み上げて、その被告人の言い分の持つ「合理性」が、検察側起訴事実の持つ「合理性」を上回る説得力を持たせりゃ済む話でしょうが。
そういう「完成度の高いストーリー」を構築できないから惨敗するんですよ。検察側の絵図がずさんだとしても、それを下回る粗雑で幼稚な「言い分」・・・たとえば「証拠は捏造」とかね・・・しか提示できないからダメなんです。自分らの無能を棚に上げて、他人に責任を転嫁するしかしないからアナタ方「ある一定のグループ」はいつまで経ってもダメなままなんです。

ま、フィクショナルな「ストーリー」は、「事実」の含有度がより高い別の「ストーリー」に対して、通常勝ち目はないですけどね。

 違法逮捕には抗議するべきだ、という点については誰も異論は無いと思います。また、違法逮捕や不適切な令状の発付が存在することについても誰も否定できないと思います。しかしその理由として

資料は、一応形式だけ整っていればオーケーですので、警察官や裁判官の仕事なんて楽なもんですよ。この辺りは旧態依然とした体質なので、「質が低下」したのではなく、もともと低レベルだというのが正確ですけどね。

を最初に出してしまったところが、当初から多くの反感を得た原因なのではないかと思います。

 中には間違いと思われるような判断をする裁判官もいるだろうし、レベルの低い警察官もいるかもしれない。しかしそれを安易に一般化することには疑問を感じずにはいられません。裁判官や警察官のレベルがそんなに低いなら、弁護士はどれだけレベルが高いんだよ。とか、有罪にするために無茶をする警察官が居るなら、無罪にするために無茶をする弁護士だって同じくらい居るんじゃないか。とか思うわけです。

 問題を一般化せずに個々の事例について不当逮捕や不適切な令状について議論するか、裁判官、警察官のレベルのせいにせず、制度的に令状の審査が甘くなりがちだ、という議論であれば、同意も得られるのではないかと思います。

 素人の差し出口、失礼いたしました。

覚せい剤使用の例が出てくるとは思いませんでした。唖然としています。

被告人が覚せい剤を入手した経路も、動機も、使用方法も、使用量も、薬理効果の有無も、何一つ立証されていなくとも、「尿中から覚せい剤成分が検出された」という鑑定書1本で機械的に有罪判決
黙秘権を行使するのは正当で当然という立場かと思っていましたが、黙秘権を行使したら、動機も使用方法も使用量も分からないのが普通かと思います。それを鑑定という科学的証拠で立証しているのではないですか。言いたいことがそんなことだったとは、要するに否認とか黙秘すれば無罪になるのが当然というように聞こえ、何だかつまらなくなりました。

>パブ弁!様or弁護士の方々様
 私が見た裁判で,「平成X年X月下旬ころに東京都またはその周辺部で何らかの方法で覚せい剤を摂取した」という事件では,被告人が調書なし(確か完全黙秘)でしたが,鑑定書1本で有罪ではありませんでした。
 記憶では,「注射コン(すいません字がわからない)の写真撮影報告書」,自宅から押収した「注射針」という証拠物,被告人の覚せい剤取締法違反の前科(逮捕から1カ月前の執行猶予判決で,判決理由では「覚せい剤を容易に入試できる知識と経験があった証拠」)などがありましたが,こういうのは例外でしょうか普通なんでしょうか?
 素人の疑問で失礼ですがお答えいただければ幸いです。

>何一つ立証されていなくとも、「尿中から覚せい剤成分が検出された」という鑑定書1本で機械的に有罪判決

 私が知っている同様の事案では、本人が全面否認して第三者がふざけてペットボトルに覚醒剤をいれたという否認調書に署名していて、公判でも同様の主張をしていましたが、検察官は被告人の携帯電話には密売人との通話記録と電子メール(確か「5パケ1マソは高い」とかの内容)があったことと、現行犯人逮捕時の身体捜検でカラパケが発見押収されたことを立証してました。
 「鑑定書1本で機械的に有罪判決」というのは、あなたの誤解若しくは偏見ではありませんか? もしそうでないなら、私も勉強したいので「鑑定書1本で機械的に有罪判決」を下した判決例を1本で示していただければと思います(リンクが無理なら事件番号程度でも)。

にしんそば(弁)です。

請求証拠が鑑定書1本だけという覚せい剤事件はありえません。鑑定書1本で構成要件の全部を立証することはできないからです。もっとも,パブ弁!さんが「鑑定書1本で機械的に有罪判決」とおっしゃるのは,文字どおり請求証拠が鑑定書1本だけという意味ではないでしょう。鑑定書の有無(ないし鑑定書の証拠能力の有無)で有罪無罪が決せられたと思われる事件は覚せい剤の否認事件ではときどきあります。そのような事件の判決をさして,「鑑定書1本で機械的に有罪判決」と表現するのは,私にはよく意味が理解できますし,多くの弁護士にとってもそうだと思います。

ただ,あれですね,ここの素人さんは,このような表現(「鑑定書1本で機械的に有罪判決」とか「一応形式だけ整っていればオーケー」など)に嫌悪感や不快感,あるいは違和感などを示される傾向があるのはよくわかりましたので,パブ弁!さんも,ここでは,このような表現には,注意された方がいいのかも知れませんね。

 ご教授ありがとうございます。専門家が見れば一種の比喩的表現という意味ですね。だとしたら文字通り誤解を生む断定なので,プロパガンダ強調だとしても一般人には,裁判所が腐っていると決めつけた表現のように見えます。特にここでは,ご同業の某弁護士のレッテル貼り連投攻撃に不快感を催す方が多いので,心情的に反発しますし,専門家の実務経験がなければ「1本」「機械的」を文字通り理解してしまうと思います。

御指摘のとおりで、証拠の数としては鑑定書1本ということはありません。

尿の任意提出書(又は強制採尿の経過に関する捜査報告書等)、尿の領置調書又は差押調書、その尿の鑑定嘱託書謄本、鑑定書の4点は最低でも必要になりますし、被告人の人定事項に関する証拠として戸籍謄本等も提出されます。否認事件でも、いわゆる身上調書は請求されることも多い。

ただ、任意提出書~鑑定嘱託書謄本は、鑑定の対象が被告人の尿であることを立証するためのものですし、身上調書は公訴事実に関係しない、文字通り身上一般に関する証拠、戸籍謄本はそれこそ形式的な事項を確認するだけですから、「実質的には」鑑定書1通の評価で勝負が決まる、ということです。

厳密な説明をすると却って分かりにくくなると思い、本質的でない部分やディテールを省いているわけですが、なかなかさじ加減が難しいところです。

なお、No.13、No.14のような事案があることは当然ですが、そのような間接事実なしで、実質的には鑑定書だけに依拠して有罪判決になる事案もある、ということです。覚せい剤の、それも有罪判決はあまりにありふれていますので、雑誌や文献等に掲載されることは少なく、参照可能な実例を紹介することは今すぐにはできません。

>それも有罪判決はあまりにありふれていますので、雑誌や文献等に掲載されることは少なく、参照可能な実例を紹介することは今すぐにはできません。

 すいません。よくわからないので素人に教えてください。ありふれているなら実例はテンコ盛りにあるはずで,雑誌や文献に雨後のタケノコにあるのではありませんか? ありふれたプログラミングなら巷の本屋に行けば使用例がすぐ見つかるのと同じように。

え~と、覚せい剤の自己使用について

>反論(その日はどこで何をしていたから犯人ではない、等)

本当にこの反論に意味があるとお考えなのでしょうか?

自己使用については国外犯は処罰の対象ではなかったと記憶していますので、海外で使ったという言い分なら意味もあると思いますが、そのような趣旨ですか?

>覚せい剤を入手した経路も、動機も、使用方法も、使用量も、薬理効果の有無

これは自己使用罪の構成要件要素ですか?
検察官がこれらを立証する必要があるのですか?

公権力の行使は抑制的であるべきという大原則から考えれば、
この件の逮捕は不適切です。

>。「逮捕までしなくたってよかったのに・・・」と言う一般的な感想は私も持っていますが、

である以上、不適切だと結論付けて構わないでしょう。

>公然わいせつをとらなくても公務執行妨害で身柄を押さえることも可能な状況だったようにも思われます。

このような逮捕が適法かどうかというお話は警察のサイドに立ったポジショントークだと思います。

私は「鑑定書一本で機械的に」という表現に反応したわけではありません。もう一つ

しかも、その鑑定は、警察が身内で行っている上に、鑑定試料は全量費消したことにされており、再検証は事実上不可能です。
にも何か変なものを感じました。「警察が身内で」というのは、他には、素人でも分かるのは指紋・血痕でもそうだと思うのです。警察がすることは全部信用できないという主張に感じました。警察以外の機関でやればよいという意味なのでしょうか。
それとも全量費消がいけないという点が問題なのでしょうか。確かに保存していればよいですね。でも、その、何というか、覚せい剤入り?の尿はずっと保存していても劣化しないという前提でいいのか教えてください。保存するとしてどれくらいの量が保存されていばいいのかについても知りたいです。覚せい剤使用程度で(この発想がいけないのかな?)で尿を保存する警察それとも検察?も大変ですね。否認や黙秘事件だけ保存するというわけにはいかないでしょうからね。
でも、その保存された尿が被告人の物かどうか分からないというふうに言い出したらどうなるのでしょうか。それとも尿があればDNA鑑定できるのでしょうか。DNA鑑定するとなると別の方法でDNAを取らなければ比較できませんが(警察はDNA情報が入るからうれしいのでしょうかね)、覚せい剤使用でDNA鑑定とは大げさ・コスト高すぎると感じるのは素人だからでしょうか。ちょっと勝手に発展しすぎたかもしれません(反省)。
それから、にしんそばさんの「ここの素人さん」という表現にも引っかかりました。そういう素人さんを相手にして裁判員裁判が始まるのですよ。

 横レス失礼いたします。

>にしんそばさんの「ここの素人さん」という表現にも引っかかりました。

 専門家は,優越感から非専門家を「素人」と一段下に見ているのが通常ですから(露骨に書く人は珍しいですが),あまり気にしないことです。

真面目に刑事弁護に取り組む多くの弁護士の目から見て,パブ弁!さんの意見は極めてオーソドックスなものだと思います。

意見の要旨・骨子(必要に応じて躊躇せずに憲法上・法律上認められた防御権を行使せよ、等)は「オーソドックス」かもしれませんが、その表現にきわめて問題があると思います。パブ弁!さんのコメントには。

パブ弁!さんからはまったくレスをいただいていませんが、これ↓など致命的だと思っています。
にしんそばさんはいかがお感じでしょうか。

前エントリ No.222

また、

感情的とも思われる反応が多いこと
このような敵意に満ちた環境にもかかわらず

とのご意見ですが、パブ弁!さんが自分で播いた火種にすぎないと思います。
ケンカ腰で臨めば、ケンカ腰の反応が返ってくる。ごく自然な流れにすぎないのでは。

上でリンクしたコメント(No.222)にも書きましたが、刑事事件に携わる弁護士に対する一般人のイメージを悪化させるだけになることを危惧します。

 また横レス失礼します。
 専門家がおそろいなので,一般人から。

>刑事事件に携わる弁護士に対する一般人のイメージを悪化させるだけ

 もともと,私は,小倉弁護士の自ブログエントリや他ブログ投稿を読んで,「バカバカしくて日本で刑事弁護なんかやってられない,もう10年は刑事弁護をやってない。」という意見を聞いてショックを受けました。しかし,その後のみなさんの意見を読んで,小倉先生が「イクセプトワン(独自の見解)」だと思うようになり,やや気持ちを持ち直したところでした。
 ところが,「パブ弁!」氏の人を人とも思わない感情的殴りこみに等しい失礼な投稿を読んだ上,これを当然のように擁護する「にしんそば(弁)」氏の投稿まで現れて,被告人が争う気がなくても身柄拘束が長期化しても,刑事弁護人独自のイデオロギーで刑事弁護すべき(当然一方的に犠牲になるのは被告人です)というのは,唖然としました。
 つまり,日本の刑事裁判には絶望してませんが(日本の基礎率は4割程度でそのうち8割以上が起訴後3か月以内で判決が確定=最高裁司法統計=),日本の刑事弁護の専門家には,たとえそれが自称であってもなくても,残念ながら,絶望の淵に立つほど悪いイメージを持ちました。
 被告人は,自分の法的権利を弁護人に守ってもらいたいだけで,弁護人の決め付け粗雑なイデオロギーゲームの犠牲になることは望んでいないと思います。少なくとも私はそうです。

被告人が覚せい剤を入手した経路も、動機も、使用方法も、使用量も、薬理効果の有無も、何一つ立証されていなくとも、「尿中から覚せい剤成分が検出された」という鑑定書1本で機械的に有罪判決が出されるのが現状です

覚醒剤を使用しただけで犯罪になると思うのですが、使用方法とか使用量、入手した経路、動機が「有罪判決」に必要なのでしょうか。

これらの事が立証されていないと、法的に何が問題なのでしょうか。教えて頂けると幸いです。

>しかしながら、「正当な権利を行使すると不利益になるから、権利の行使を控えるべきだ」という考え方は本末転倒です。

 この文章は、あなたの考え方が典型的に表れているように思われます。

>御指摘のとおりで、私としては特に奇抜・特異なことを申し上げているつもりは全くありません

 たしかに、「特に奇抜・特異」ではありませんが、「原理主義的」と言ってもいいように思っています。

 冒頭の引用部分に話を戻しますが、私は、

 調書を不同意とすることによる具体的なメリットが期待できな事件において、刑事訴訟法の原則に従って不同意にしますと、依頼者が被告人である期間が長期化する可能性が生じます。(「待できな」は「待できない」の誤記)

と言いました。

 あなたは、「調書を不同意とすることによる具体的なメリットが期待できな事件において、」という私の主張の前提条件を理解した上でコメンとしてますか?

>しかしながら、「正当な権利を行使すると不利益になるから、権利の行使を控えるべきだ」という考え方は本末転倒です。

とおっしゃってますが、

 現実社会においては「正当な権利の行使の(加筆訂正)際に権利者に「負担」が伴う。

というのは通常のことです。

 別の観点で言えば、被告人が訴訟の場において自己の主張を述べる権利を行使することは正当なことであるとしても、その主張自体が正当であると認められる保証はないという「リスク」も存在します。


 私は、正当な権利行使に伴う「負担」や「リスク」を考えなければいけないと言っているのですが、わかりますか?

 そしてその「負担」や「リスク」を負うのは、弁護人ではなく被疑者・被告人です。

 「負担」や「リスク」の存在を無視するのであれば、そのような弁護は非現実的です。
 もし仮に、「負担」や「リスク」があること自体が間違っているのだからそんなものは無視して権利を行使すべきだというのであれば、私はそのような弁護はイデオロギー的弁護だと考えます。というかイデオロギー以前の我が儘弁護ですよ。

 ところで、パブ弁!さんやにしんそばさんは、例えば10件の自白事件のうち何件くらいについて、供述調書の原則不同意(全部または大部分の調書の不同意)という弁護活動を行っているのでしょうか?

 

 素人コメントは歓迎なんですけど、ここは「パブ弁!さんと語るエントリ」なんですよ。
 ただでさえ論点が拡散気味なんですから、問題点の提示はパブ弁!さんやその支持者の弁護士に限らせていただきたいと思います。

私は法解釈等に無知な素人ですが、前スレNo.278のパブ弁!さんの

裁判員法は国会においてほぼ全会一致で成立しましたので、裁判官の判断能力に問題があることは、もはや国民の総意と言っても過言ではありません。

とのご意見には、違和感を感じました。

 ここにはいろんな職業の人が訪問されます。
 弁護士はもちろん、検事や裁判官やその他の士業の方、警察官の方、やたらと物知りの謎の公務員の方、医師その他の専門的職種の方、学生さん、法律のことをほとんど知らない皆さんなどなどです。
 そして、マナーやルールを守った発言をされている限り、それぞれお互いを人として尊重し合っています。
 いろんな職業や立場の人がいるので、自分が知らないことを教えられる機会が多いのです。
 そして、ここでの意見は全て「個人的な意見」として扱われます。いかなる意味でも発言者が属する何らかの意味におけるグループを代表するものとは見なされません。
 ここはそのような「小宇宙」です。

 そこへいきなりやってきて

警察官や裁判官の仕事なんて楽なもんですよ。この辺りは旧態依然とした体質なので、「質が低下」したのではなく、もともと低レベルだというのが正確ですけどね。

などという発言をすれば、「なんだ、こいつ」という反応になるのはごく自然なことです。
 
 そうは思いませんか?

 少なくとも、「裁判員の判断能力に問題はない。」ということにはなりませんね。
 それは今後の検討課題でしょう。

 ちなみに、裁判員制度については弁護士会の中にも強い反対意見が存在します。

失礼ながら、素人傍観者の感想です。

>論点が拡散気味

パブ弁!さんの発言が発端ぽいですが、思考パターンが現れるもの。

弁護される(かもの)立場としましては、個別具体的に丁寧な説明を加えている発言には頼もしさがあり、モトケンさんや常連の弁護士さんにはそんな発言が多いと感じます。

一方、決め付けや説明不足やナイーブな発言には「世間知らずの学生か?」と思います、その戦術での弁護なら不要です。

貼り
良い刑事弁護とは
http://www.yabelab.net/blog/2008/04/28-235431.php

 覚せい剤の自己使用事犯はいろんな意味で特殊ですから、刑事司法一般の議論の題材として適当かどうか疑問があるんですが、

>さて、使用を一切否認する、又は、故意による摂取を否認する被告人の弁護活動として、何ができるというのでしょうか?

 弁護活動としては、尿鑑定の信用性を前提にするならば、故意による摂取以外の摂取の可能性を主張し、できるだけ立証に努めるしかないのではないかと思います。
 被告人が黙秘するのであれば、弁護人が一般論的に故意によらない摂取の可能性を指摘したり、一般論的な検察官の立証責任の確認をすることくらいでしょうか。
 以前にも書いたことがありますが、黙秘権は検察官に積極証拠を与えない手段としては最強ですが、検察官が供述以外の強力な証拠を入手した場合の反証手段としては無力です。当然ですが。


 それはそれとして、厳密な意味において、尿鑑定以外の積極証拠が全くない覚せい剤自己使用事犯を有罪にし得るかについては、かなり悩ましいと思います。
 しかし、厳密な意味において、尿鑑定以外の積極証拠が全くない覚せい剤自己使用事犯の起訴→有罪事例がどれだけあるのかについては、よくわかりません。
 私は、経験がありません。
 私が新任検事だったころに、注射痕の写真がかなりピンボケだったので裁判官がかなり悩んだ事件の記憶はあります。

そうは思いませんか?
パブ弁!さんのコメントを読んだ時点では,そのようには思いませんでした。警察官や裁判官というのは,特権階級みたいなところがあって,ネット上においてこうした方々を貶めるような発言がされていることは珍しくありませんし,そのような発言に賛同者が次々とそうそう,なんていうコメントがされるところも珍しくないからです。私は,むしろ,そのような投稿に対し,礼儀知らずとか,喧嘩を売られた,などと感じる常連さんが多いことにびっくりしました。

もっとも,警察官の方や裁判官の方が参加されていれば,当然にそのように感じるでしょうね。検察官,検察事務官さんにとってもそうでしょう。その点では,なるほどご指摘のとおり,パブ弁!さんの発言が礼儀しらずで,何だこいつ,と思われたということも理解できますし,そのような常連さんの存在を前提にすれば,そう思います。


この点については,諸般の事情から,コメントを控えさせて下さい。

ところで、パブ弁!さんやにしんそばさんは、例えば10件の自白事件のうち何件くらいについて、供述調書の原則不同意(全部または大部分の調書の不同意)という弁護活動を行っているのでしょうか?

私の場合についていうと,問題ない自白事件(接見や記録の精査の結果,私自身が被告人の有罪を確信した自白事件)について供述調書を不同意にしたことはこれまで一度もありません。これからも多分ないと思います。

>私の場合についていうと,問題ない自白事件(接見や記録の精査の結果,私自身が被告人の有罪を確信した自白事件)について供述調書を不同意にしたことはこれまで一度もありません。これからも多分ないと思います。

 それを聞いて安心しました。あなたに限り前言を取り消します。たいへん失礼しました。誤解をした点はお詫びします。以後,前言は「パブ弁!」氏だけが対象となることを明言します。

正直、呆れました。

議論において自分の臀部を拭くことを拒絶する最悪の対応です。

私のコメントへレスせずしれっと無視しているほうがまだマシなくらいです。

心底、呆れました。

警察官の方や裁判官の方が参加されていれば,当然にそのように感じるでしょうね。

そのような「常連参加者への配慮」が、パブ弁!さんのコメントに拒絶反応が殺到した理由の本質ではないと認識しております。

>No.167 パブ弁!さん
>令状は、請求すれば出すというのが実情です。差押令状より厳格な審査が求められる逮捕状でさえ、却下率0.03%程度という異常な現状があります


却下になる前に撤回してるだけ。

議論において自分の臀部を拭くことを拒絶する最悪の対応です。

あなたの見解に対する意見を求められて,これに答えなかったことをこのように言われる筋合いはありません。あなたは弁護士さんだということなので,特定の事件や特定の事件に関する評価に話題が及ぶ場合に弁護士がコメントできなかったり,コメントすることに不都合が生じる場合があることを想像できるかと思います。勝手に呆れていただくのは結構ですが,このようなコメントをされることは大変に心外ですし,その表現もあまりに品性下劣なのではありませんか。

私は、「特定の事件や特定の事件に関する評価に話題が及ぶ場合」であっても、「コメントすることに不都合」が生じない範囲でご回答をいただけるものと考え、質問させていただきました。

それに対して、そのような切り分けもしないで、コメントを拒否するような態度は、まさに私が懸念した

刑事事件に携わる弁護士に対する一般人のイメージを悪化させるだけになること

につながるものです。

あなたは、パブ弁!さんの「特定の事件や特定の事件に関する評価」を前提にしたコメントに対し、手放しの賛意を示してこのブログに登場されたのです。
そのご自身のコメントとの整合性すら、正面から説明することができないのであれば、「都合の悪いことはお話できません」という対応なんですね、と思われてしまうだけではないですか。

私の価値観からは、弁護士を名乗ったうえでのコメントとして到底認められるものではありません。

品性下劣?
どの口が言いますか、と申し上げさせていただきます。

>その表現もあまりに品性下劣なのではありませんか。

 前言の取り消しを撤回します(憤慨)。
 次の侮辱的な言葉「しつこくて鬱陶しい」を貴兄がハスカップさんに名指しで発言したのをお忘れですか? 現職弁護士なら、覚えているでしょう。人を誹謗する言葉は「その辺でやめといたら?」

http://motoken.net/2009/04/23-093811.html#comment-7693
>No.285 にしんそば さん | 2009年5月 9日 00:02 | 返信(Top)
>ハスカップさん,しつこくて鬱陶しいですよ。スルーされてるのを自覚してるならこの辺でやめといたら?

なんか「季刊刑事弁護」を拾い読みしているような感じが……。


それとも全量費消がいけないという点が問題なのでしょうか。確かに保存していればよいですね。でも、その、何というか、覚せい剤入り?の尿はずっと保存していても劣化しないという前提でいいのか教えてください。保存するとしてどれくらいの量が保存されていばいいのかについても知りたいです。覚せい剤使用程度で(この発想がいけないのかな?)で尿を保存する警察それとも検察?も大変ですね。否認や黙秘事件だけ保存するというわけにはいかないでしょうからね。

 この点に関しては、パブ!弁さんを応援します。
 現在の分析技術では、尿1ccあれば覚醒剤(メタンフェタミン)は充分定量できます。任意にせよ、強制にせよ尿は100ccくらいは確実に採取できるのに、科捜研はしばしばその充分量の尿を「全量消費」して、再鑑定・再検査が不可能にしてしまいます。というより、再鑑定されないようにたぶん下水に流しているのです。また、その結果だって、厳密にはメタンフェタミンが検出されただけでは不十分で、同時に代謝物のアンフェタミンが確認される必要があり、いくら検出された数値だけではなく、GC-MSのチャートが添付されているべきですが、そういうデータがついてないことはしばしばです。
 ということは、鑑定の尿10ccをマイナス80℃で判決確定まで保存しておけばいいわけで、それくらいなら、充分に可能なはずですが、科捜研がどれくらいそういうことを気にしているかはなはだ疑問です。
 もちろん、同一性を確認はDNA鑑定が必要ですが、現状の科捜研の鑑定資料の保存は、それ以前にお粗末です。これは、覚醒剤事件に限らず、しばしば充分量あるはずの鑑定資料を「全量消費」して、再鑑定を不可能にしており、これは科捜研のお作法といってもいいくらいです。そういう科捜研の報告書はいくつもみました。


 わたしは警察と一緒に仕事をする立場ですが、必ずしも彼らの手法が正しいとはいいきれないのが現実で、それは、最近ではその一端がはしなくも「足利事件」の再鑑定で白日にさらされたことで確認されたと思っています。

おっと、とりあえずこの

任意にせよ、強制にせよ尿は100ccくらいは確実に採取できるのに、科捜研はしばしばその充分量の尿を「全量消費」して、再鑑定・再検査が不可能にしてしまいます。というより、再鑑定されないようにたぶん下水に流しているのです。
という失礼な言いがかりに反論させていただきます。
これまで残余資料の保管が積極的に為されていなかったのは、衛生的な問題、公判に耐えうる同一性の確保の問題、膨大な試料(当県では陽性のものだけでも年間500~1000件、陰性はその3~4倍の数)の保管管理の問題があったからなのですよ。
ところが、覚せい剤使用事案における、鑑定試料の全廃棄に対する批判と、今後予想される裁判所の精密な立証要求に対応するべく、平成18年度くらいから警察庁の指導と予算措置により、鑑定後の残余資料を判決確定まで冷凍保管する運用が全国警察で順次開始されています。
全国一斉でないのは、各県警の担当部署の人員的な事情と科捜研の施設的な問題によるもので、最終的には全国で統一した運用が為されるはずです。
ちなみに私の勤務する県では、一昨年から本運用を開始していますが、運用開始後、何故かそれまで必ず年間数件は発生していた使用否認事案での再鑑定要求が、全く発生しなくなってしまいました。
再鑑定の要求を出されていた弁護士さん達は、決まって
その鑑定は、警察が身内で行っている上に、鑑定試料は全量費消したことにされており、再検証は事実上不可能です。
というようなことをおっしゃっていましたが、せっかく保管してるんだから信用のおける鑑定機関で再鑑定すればいいのに、と不思議でなりません。
あと足利事件については、科捜研の鑑定方法の問題というよりも、当時のDNA鑑定の精度の問題と、その低精度の鑑定結果を後生大事に維持し続けた裁判所の問題でしょうに。

ありがとうございました。そういうことを知りたかったのです。
「季刊刑事弁護」というのがあるんですね。

横ですが。

パブ弁!さんのコメントは、司法職に対する罵倒から始まりました、その時点で礼儀知らずを自ら宣言しています。

私は司法職では有りませんが、その表現が気に成りました。

で、その根拠を質したところ返信をされましたが、私には根拠とは思えなかったのでその旨を返信し、それに対する回答は有りません。

ですからその発言への評価は「一部の事象や憶測に基づいた、決めつけ、一般化、ステレオタイプの悪罵」です。

にしんそば さんは、それの評価を拒みfuka_fuka さんに非難の言葉ですから・・・パブ弁!さんの罵倒コメを支持と。

追記、足利事件はDNA鑑定問題を知ってさえいれば覚せい剤事件と一緒に出来ない事は直ぐ判りますが知らない人は・・・

> ちなみに私の勤務する県では、一昨年から本運用を開始していますが、運用開始後、何故かそれまで必ず年間数件は発生していた使用否認事案での再鑑定要求が、全く発生しなくなってしまいました。
> 再鑑定の要求を出されていた弁護士さん達は、決まって
>> その鑑定は、警察が身内で行っている上に、鑑定試料は全量費消したことにされており、再検証は事実上不可能です。
> というようなことをおっしゃっていましたが、せっかく保管してるんだから信用のおける鑑定機関で再鑑定すればいいのに、と不思議でなりません。

その弁護士達さんは,再鑑定の余地がないという手続的不公正を問題にしていたのだと思います。
鑑定残量を保存する運用が確立し,手続的不公正が解消されたことは鑑定資料を全量費消したことに抗議し続けた弁護士さん達の成果と評価することも可能かと。

#本当に再鑑定しなければいけないことも場合によってはあるかもしれませんし。

>鑑定の尿10ccをマイナス80℃で判決確定まで保存しておけばいいわけで、それくらいなら、充分に可能なはずですが

 予算を付けてもらう都道府県議会の議員を説得するのが大変でした。再鑑定請求が数パーセントもないとなると「消費税より低い確率のオッシコの保存に、もともと微々たる犯罪者のために大事な血税が使えるか!それより全県民に恩恵が及ぶ道路やハコモノが大事!」と剣もホロロm(_ _)m
 施設費だけでウン億円は軽くいきますし、電気代や保管費用を含めたランニングコストも数千万円は軽く行きます。3割自治では国家予算以上に予算の分捕り合戦が激しいのです。
 尿検査が年間数万件に昇る東京都(警視庁)の尿保管冷蔵庫の建設費と保管経費は想像したくもないですよ(ひとごとですけど)。

その弁護士達さんは,再鑑定の余地がないという手続的不公正を問題にしていたのだと思います。
そうですね、好意的に解釈すればそういう評価も可能であると思います。

しかしながら、パブ弁!さんのコメントからも読みとれるように、そういう弁護士さん方の主張は

科捜研は警察の機関であり、基本的に信用できない。
だから再鑑定する必要があるが、残余試料が無いので出来ない、不当だ、不自然だ、疑わしい。

ですから、無罪の主張をするなら残余試料があるのですから再鑑定して証明すればいいのです。

それまで鑑定の信用性を厳しく非難していたにも関わらず、残余試料の保管を始めただけで鑑定の信用性について争う必要が無くなるのもおかしな話だとは思いませんか?

釈明の上撤回します。

「臀部を拭く」という下半身に及ぶ表現に強い抵抗を感じたため「品性下劣」と表現してしましたが,「品性下劣」という表現が侮辱的であるというのはまことにそのとおりですので,お詫びして撤回します。

なお,ハスカップさんへのコメントは,これまでの(本スレにかかわらず)ハスカップさんの発言を読ませていただいた上で,あのような言い方でもご本人には趣旨を理解いただけるかなという気持ちもありましたが,先のキメイラさんの粘着して個人攻撃しているように読めるという指摘を受けて,改めて読み返して,なるほど公然と個人攻撃しているように読まれても仕方がないなと理解したところです。

>科捜研は警察の機関であり、基本的に信用できない。

 社会保険庁の年金データミスの内部調査は信用できない!と同じで、適切に保管と管理をしても、科捜研は警察の機関だから残余資料を保管したといってもちゃんとやったあ信用できない!でどっちにしろ争われるだけという悪寒がします。そのために年間数千万円の予算を使うのか!といわれそうだし。

 弁護士先生なら,侮辱的表現が犯罪にも該当することを了解しているはずです。「品性下劣」とはよくも言ったりで,今更謝罪するくらなら最初から口にするな,と私が営業マン部下にしかりつけてたと思います。民間「素人」の世界で顧客相手にこんなことを口にしたら,取引破棄どころか,厳重抗議を受けて代表取締役社長が直接相手方を訪問して陳謝するくらいなもんですよ。

>あのような言い方でもご本人には趣旨を理解いただけるかなという気持ちもありましたが

 どういう思考過程を経たら,ハスカップさんが「にしんそば」弁護士さんのどんな趣旨を理解できるんですか? それに,私へ釈明するより,まずハスカップさんに謝罪するのが先でしょうが。ネチケットは素人同然ですよ。ハスカップさんが大人の対応してスルーされていることをいいことに,甘えていませんか?

お気持ちはよく分かります。

ただ,弁護人が,再鑑定が可能にもかかわらず再鑑定を求めないのは,被告人の身柄拘束期間が長くなるというデメリットがあるのに対し,再鑑定で覚せい剤成分が出てこないという結果が得られる可能性がほぼ0ということを天秤にかけた損得勘定によるものでしょう。
それ自体は不合理とは思えません。

予算措置等で都道府県には相当の負担があったと思いますが,再鑑定を可能としておくだけで再鑑定に関する大部分の紛争が回避されたことは捜査機関にとってもメリットだと思います。

 キメイラさん。気持ちはうれしいですが、どうか熱くならないでください。私は、指摘されているとおり、最初から(前スレから)スルーしてますので。別に私の意見を正面から批判するもの(例えば、ウイグモアやブランダイスブリーフに基づく伝聞法則解釈への批判批評)ではないし、にしんそば弁護士先生から素人相手の侮蔑言辞があったに過ぎませんから。
 私の学術的興味は、パブ弁!先生のご見解が、刑訴法のいかなる理論でどのような根拠理由に基づくかを知りたいだけですので、それ以外の雑音には興味がありません。

パブ弁!先生、遅くなりましたが、元エントリの№291についてですが、伝聞証拠の排除法則などは、捜査書類を作成する上で当然知っておくべき知識であり、その程度も知らずに調書を作成する捜査官がいると思われていることは非常に心外ではありますが、まあせっかく御教示いただいたのですからお礼は述べさせていただきます。
さて、否認あるいは黙秘は被告人の権利であり、捜査機関によってそれを行使することに制限が設けられるようなことがあってはならないでしょう。
また犯罪の立証は、第一義的に捜査機関側にあることについても異論を差し挟むつもりはありません。
しかしながら、既にモトケン先生が書かれていますが、捜査機関側が被告人の犯人性を立証しているにも関わらず、「否認していること」のみを主張して無罪推定の原則を求めるのは些かリスクが高すぎるのではと思います。
また否認するだけでなく、「捜査機関による証拠の捏造」や「取調官による拷問・脅迫・侮辱・偽計・利益誘導等がしばしば介在する」などと主張し、証拠の信用性を否定されようとするのであれば、今度は反対に弁護側に「捏造である証拠」や「拷問・脅迫・侮辱・偽計・利益誘導が行われた証拠」を示す必要が出てくることは言うまでもありません。
その証拠を示すために、取調べの可視化や証拠保全・再鑑定の徹底を主張されることは十分に理解できますが、「可視化されていない=不正が行われている」とはならないことも留意されておくべきだと思うのです。
あとついでに

検察官証拠の弾劾だけでなく弁護側立証の強力化が必要であるとのエールとして受け取っておきます。
これはそのとおりです。
私はこれでも刑事弁護が刑事司法のシステムにおいて必要不可欠なものであることは十分理解していますし、被告人にとって極めて重要なものであることも肌で知っています。
であるからこそ、あなたのように理念優先で、現実味に欠ける主張を見ると、その実効性の低さにもどかしさが出てきてしまうのです。

感熱紙(刑)さん、ハスカップさん、もっともっとありがとうございました。知らないことだらけですが、本当に参考になります。モトケンさんの

いろんな職業や立場の人がいるので、自分が知らないことを教えられる機会が多いのです。
のとおりですね。

>ただ,弁護人が,再鑑定が可能にもかかわらず再鑑定を求めないのは,被告人の身柄拘束期間が長くなるというデメリットがあるのに対し,再鑑定で覚せい剤成分が出てこないという結果が得られる可能性がほぼ0ということを天秤にかけた損得勘定によるものでしょう。
>それ自体は不合理とは思えません。

横からすみません。

Sou様のお考えによると、通常の損得勘定ではおよそ再鑑定を求めないという反応になるのに、保存ができるようになるまで弁護人が再鑑定請求を出し続けていたということは、証拠保存という県警サイドの設備の不備?を追及するために、被告人の長期勾留のデメリットを承知の上で、個別の事件において再鑑定請求を出していたということでしょうか。

県警の設備不備?は、個別事件の被告人に何の関係もない話であり、本来的には弁護士会からの要望(もちろん出されていると思いますが)や議員への陳情などで対応されるべきものと思います。

もちろん、そうした弁護人の意図も自らが被るかもしれない不利益をも承知の上で、今後の被疑者の為(もちろん本当にやってないのなら自らの為にもなる)に被告人が了解していたのなら問題はないかもしれませんが、そうでないのなら被告人の権利侵害にも繋がる話ではないかと思うのですが・・・。

今度は反対に弁護側に「捏造である証拠」や「拷問・脅迫・侮辱・偽計・利益誘導が行われた証拠」を示す必要が出てくることは言うまでもありません

弁護士の中には、秘密交通権を有することを利用して、被疑者に対し「供述の利益誘導」により供述のねつ造を行う人がいます。
しかし、これを防止する方法って、捜査側に出来ることが有るのでしょうか?

>No.58 じじい さん

 横レスですが、 保存ができるようになるまでに出された弁護人の再鑑定請求は、検察が再鑑定は不可能(保存されていない)ということを明らかにすれば、それで、請求自体が認められないので、大きな遅延はまねかない。ところが、保存されているとすると再鑑定の要否が問題となり、さらに再鑑定が実際行われるとなると長期間を有することになるということです。

>保存されているとすると再鑑定の要否が問題となり、さらに再鑑定が実際行われるとなると長期間を有することになるということです。

 予算査定の目的効果基準(利用実績)のアイロニーでは、再鑑定申請が予想件数・予想利用率を大きく下回れば、税金の無駄遣いとマスコミや議員のバッシングに遭います(全国高速道路網や道府県の高規格道路)。かといって、利用実績の鼓舞でもしようものなら、不当に被告人の身柄拘束期間を長引かせるだけで、人権団体から顰蹙を買うでしょう。
 ちなみに、マイナス40度C保管までは、食品冷凍保管用の民生量販品があるのである程度コストを抑えることはできますが、生体細胞の変質を防ぐのに最適とされているマイナス80度C(No.44で医療集中部watcherさんご指摘のとおり)は、コンプレッサーも熱交換機も200V強電商用電源トランスも全部特注品となり、5年前で、内寸家庭用大型冷蔵庫サイズ(外寸は商用冷蔵庫普及クラス)の保管庫程度で、製造見積もり0.9億円はしました。もっとも、これクラスでも、検体セパレーション(隣の試験管や冷凍パックと氷結結合ないようにする間隔)を適正にとれば、80~120本(個)がぎりぎりです。
 常時1000本以上の保管が予想される大都市を抱える都府県だと、これらの施設を稼働させるためだけに施設内小規模変電設備(特定事業者強電変圧施設)を作る必要があり、5年前で1基に最低3~10億円が必要でした。
 以上マニア向けのトリビアm(_ _)m

コンプレッサーも熱交換機も200V強電商用電源トランスも全部特注品となり、5年前で、内寸家庭用大型冷蔵庫サイズ(外寸は商用冷蔵庫普及クラス)の保管庫程度で、製造見積もり0.9億円はしました。


余計なコメントはしません。
また皮肉を書いてしまいそうですから。
手元の某社の「研究用総合機器2009」では,超低温フリーザー(アップライトタイプ),内容量728リットル(外寸法101×87.5×201cm)が価格(税抜き)で250万円です。

 それは科警研が実験用に使っているやつですね。ただ、詳しくここに書くわけにはいきませんが、それだと安価ですが証拠品保管庫に求められる耐震基準を満たさないんです(T_T)

 ちなみに「薬物含有証拠品」や「生体物(遺体の断片)」は、現金・貴金属と並んで「特殊証拠品(特殊証拠物件)」扱いとなり、平成5年の公安施設の耐震基準の改定に伴い、最高度の耐震基準が厳格に求められてしまいます。
 つまり、震度Xクラスの直下型(縦揺れ)や近接震源型(横揺れ)のXXガルが襲っても、建物や保管庫が坐滅しないだけでなく、中にいる人または物が破壊されない衝撃吸収能力を持つことが要求されます。警察、消防、自衛隊、公衆衛生(検疫
・保健所・公立病院)……。
 これも変な話ですが、クビ長が地震で倒壊した本庁舎旧館クビ長室で殉職しても、覚醒剤残渣は無傷で生き残るわけで(ゲフォゴフォ。

L.A.LAW さんにフォローしていただいたとおりです。

なお,鑑定後の資料を廃棄していた時点での弁護人の言い分は,「鑑定後の資料を廃棄して,再鑑定(再検証)不能とすることはけしからんから,鑑定書の証拠能力を否定すべき」というものです。
これを早い段階で書いておいた方がよかったですね。

そのレベルの耐震要求ならばアンカーボルト一本の強度も規定され、地盤が悪ければ杭を何十Mも打ちもむ。
予備電源のしてバッテリーりーと発電機も耐震仕様で、監視装置と監視員も必要。

と言うことで僅かな仕様の差はトンデモ負担と成って跳ね返るのが「役所」と言うものです。

弁護士に(大して実行の無い)イヤミを言わせないだけが目的の負担として過大すぎかと。

久しぶりにコメントいたします。

同じ(自称→当方のことですよ)弁護士からみて、パブ弁さんが少し気の毒になってきたので、一言。

1ヶ月に1度くらいの割合しか刑事事件(被疑者段階を含む)を受任しない当方からしても、パブ弁さんの言われていることが「実現すれば」、仕事がやりやすいなあ~と思います。
 常連の皆様がおっしゃるように、「現実的には」パブ弁さんの主張されていることは理想論かもしれませんが、「理想論」であるからと言って、切って捨てるのもなんかと。
 もっとも、多くの常連の皆様は、主張は主張として認める一方、実現の「方法論」や「投稿の仕方」で、異議を申し立てているものと思います。
 それはそれとしても、一つの考え方として、弁護士の中にはパブ弁さんの主張「内容」と同じことを考える人がいることは、申し上げたいと思います(当方が同じ考えかどうかは別問題です)

以下、独り言です。
 1 以前いらした「倶利●●」さんや「千住●●」さんと同じ人だとすれば、随分変わられたと思います。
 2 「にしんそば」さんは、「本音スレ」と同じ人かなあ?

 横レスですが、 保存ができるようになるまでに出された弁護人の再鑑定請求は、検察が再鑑定は不可能(保存されていない)ということを明らかにすれば、それで、請求自体が認められないので、大きな遅延はまねかない。ところが、保存されているとすると再鑑定の要否が問題となり、さらに再鑑定が実際行われるとなると長期間を有することになるということです。


弁護側としては鑑定書の証拠能力を否定すればそれでいい訳であって、鑑定書の真贋、再鑑定自体は必要ではないし、再鑑定されては都合が悪い場合もあると言う事でしょうか。


つまり、再鑑定は弁護戦術の一種であり、裁判官に対して「警察の鑑定書は信用できない」という印象を抱かせるための手段であり、真実を追究するための手段ではないと言う事ですね。


そのような戦術自体は理に適っていると思いますが、警察が保管庫を用意したわけですから、堂々と再鑑定を主張してもいいのではないかと思います。再鑑定を行えば、より精度の高い結果が出るでしょうし、より精度の高い弁護が可能になるのではないでしょうか。

再鑑定で覚せい剤成分が出てこないという結果が得られる可能性がほぼ0ということを天秤にかけた損得勘定によるものでしょう。

覚醒剤成分が出てくる事を分かった上で、再鑑定を要求していたわけですね。

>覚醒剤成分が出てくる事を分かった上で、再鑑定を要求していたわけですね。

 というか、No.65 Sou さんのコメントで指摘されているように、再鑑定ができないことを前提として、再鑑定が不能であることを理由に鑑定書の信用性を批判していたのです。

 再鑑定が可能になった段階では、再鑑定しても覚せい剤が検出される高度の蓋然性がありますので、再鑑定請求すると時間と費用がかかるにもかかわらず、有利な結果が出る見込みがないので、再鑑定請求がされなくなってしまうわけです。

>常連の皆様がおっしゃるように、「現実的には」パブ弁さんの主張されていることは理想論かもしれませんが、「理想論」であるからと言って、切って捨てるのもなんかと。

 理想論というより観念論という気がしています。
 理念としてはまさしく正しいですし、その意味で理想論であると思いますので、切って捨ててるつもりは毛頭ないのですが、現実から遊離しているところがあって、実務家の主張としては首を傾げたくなるところがあるということです。

>もっとも、多くの常連の皆様は、主張は主張として認める一方、実現の「方法論」や「投稿の仕方」で、異議を申し立てているものと思います。

 「投稿の仕方」つまり「ものの言い方」で反感を買っているところは多いと思います。
 私もかちんときた一人ですから。

> それはそれとしても、一つの考え方として、弁護士の中にはパブ弁さんの主張「内容」と同じことを考える人がいることは、申し上げたいと思います(当方が同じ考えかどうかは別問題です)

 エントリの本文で同趣旨を述べております。

 私は、理念というより観念論として、パブ弁!氏のいうことは間違ってないと思います。ただ、取調べ立会権にしろ、徹底的伝聞法則の貫徹にしろ、米法流のラフジャスティス、バーゲニング、アレイメント制度(否認のみ適用;不抗争の答弁でも伝聞法則は適用されない)を前提とする(ウイグモア;John Henry Wigmore)、という「前提」が抜けているので、そのまま日本に持ち込んでも理念にはならないという疑問があります。この点をパブ弁!氏が明快に答えてくれれば議論も発展するかもと思います。

>弁護士に(大して実行の無い)イヤミを言わせないだけが目的の負担として過大すぎ

 阪神大震災を期に日本の地震工学(耐震工学)を英知を結集して定められたもので、弁護士イヤミ防止ではないでしょう。お疑いなら御調べください。原発の耐震基準が問題とされたとき、弁護団も「実効性のある」構造計算式でご使用かと思います。m(_ _)m

Sou様、レスありがとうございます。

>なお,鑑定後の資料を廃棄していた時点での弁護人の言い分は,「鑑定後の資料を廃棄して,再鑑定(再検証)不能とすることはけしからんから,鑑定書の証拠能力を否定すべき」というものです。

本当に再鑑定をされると困るのはおよそ被告人側であり、弁護人もそれは分かっていながら、再鑑定不能という検察側の足許を見すかして、再鑑定を主張することで鑑定書の証拠能力を落とそうとするということですか。

一方でパブ弁様のような「観念的」「理想論」的な言説を唱えながら、もう一方では被告人の利益のためにはそうした姑息な戦術(ダメとは言ってませんよ、為念)も辞さないという二面性が理解されにくいんだと思います。弁護士の職務上しょうがないのでしょうけど。

職業裁判官は、当然ながら弁護士のそうした意図は百も承知でしょうから、そこは割り引いて考えられると思いますが、裁判員となると弁護士のそうした戦術は知らないので、コロッとやられる可能性もある訳ですね。警察も再鑑定可能な設備を整えつつあるようですし、そこでの駆け引きが少なくなっていくのは望ましいことだと思います。

 パブ弁!さんのお返事を待ってレスしようと思っていたのですが、ないようなので。

 私も同様の方針ですが。
 つまり、成立過程が不透明だから不同意、という考えのもとに不同意とされているわけではありませんよね。
 現実問題としては、パブ弁!さんの言うところの原則と例外が逆転しているというのが、多くの刑事弁護の実情だと思います。

行政が要求を満たす為に必要な措置である事は重々承知で、行政現場を責める意図は有りません、気にさせたのは私の表現の拙さで、すみません。

皆さんのコメから窺えたことは、再鑑定の要求には決定的重要性が無い。
建前上は反論し難くても、そんな要求を通す以前に考え直すべき、との趣旨です。

la_causetteで小倉秀夫弁護士が、No.66 MultiSyncさんのコメントについて

科捜研が検体資料を全て使い切って行った鑑定結果の信用性を弁護人が問題視することを、「(大して実行のない)イヤミ」だという意見がまかり通っているようです。

と言っています。

 小倉弁護士がどういう意味で「意見がまかり通っている」という日本語を使っているのがよく分かりませんが、このブログでは、公序良俗に違反したり違法なコメントでない限り、ブログ主も他の訪問者・読者も、他人のコメントに賛否にかかわらず意見を述べる義務を負っていません。

 つまり、反論するのも同意するのもスルーするのも自由です。
 そしてスルーはあくまでもスルーであって、意見の主張として見た場合は同意でも反対でもありません。
 
 また、あるコメントを読んで、反対意見があるとしてもその反対意見をこのブログにコメントとして投稿する義務もありません。
 エントリやコメントを読んだ方それぞれが自分で考えていただければいいのではないかと思います。

 小倉弁護士の言う「意見がまかり通っている」という意味は、私のブログではどんな意見や主張でも(リンクの数などによってスパムフィルタに引っかからない限り)、事前承認なしで公開している、という事実を指摘する以上の意味はないものと思われます。

 小倉弁護士のように、自己のポリシーに沿わないコメントは全て公開しないという方針をとるならば、どのような意見も「まかり通る」ということはないと思いますが、このブログにおいては、小倉弁護士の言う意味においては、全ての意見がまかり通ります。
 ここはそういう「小宇宙」です。

 なお、捜査機関を含む司法制度全体の運営に関して、どのような分野にどの程度の予算を投入するかは司法政策上の問題ですから、税金を払っている納税者としては、自由に意見を述べることが許されなければなりませんし、そのような機会や場が多い方がいいと思っています。

ひとりごと:

 核兵器や伝家の宝刀は、持っていて使わないからこそ「変なことしたら最後に使うぞ(睨み」と最高の威嚇力が発揮できます。パワーポリティクス理論から言っても、権利・権限があるからドシドシ使わないのはおかしい、とはならないでしょう。むしろ一罰百戒の方が合理的(コストパーフォーマンスも以後の威嚇力も高い)。(ボソッ

 ご趣旨はわかりました。どいうかお気になさらないでください。
 ただ、ここのブログは、「片言節句をあげつらう粘着クラスター爆弾(非弁道兵器)」にロックオンされておりますので、よろしかったら、真意が明確に伝わる表現にご配慮されていただければ幸いです。m(_ _)m

リンク先の、 コメントNo.167 の内容を読む限り、パブ弁!さんのご意見に概ね同意です。

大野病院事件の逮捕勾留を始め、裁判所の令状審査が形骸化していることは明らかで、この点の認識は国民のみなさんにも共有していただきたいところです。

草なぎさんの家宅捜索については、なかなか微妙な問題ですが、この件を機に「この程度の事案で安易に令状発付がなされるような運用で良いのか?」というような議論が盛り上がるのは大歓迎ですね。
鈴木議員の国会質問も有意義なことだと思います。

その後の展開で論点が訳の分からない方向に拡散してしまっているように見えるのが残念ですが・・・

自分の意見が万一にも誤読されているとすれば,非常に心外なのでつぶやいておきます。

今まで再鑑定を求められた案件が年間数件はあったのに,鑑定残量の冷凍保存がされるようになってからは再鑑定要求がされることはなかったという感熱紙さんの情報を信用するならば,再鑑定を求めていた事案の大半は,証拠能力の弾劾に主眼があったものと推測できます。
もっとも,弁護人・被告人が再鑑定を求めたいと考え,またそれが被告人の防御のために必要不可欠であるような事案も存在するでしょう。
#ただし,ここでそれがどのような事案が再鑑定が必要不可欠かというのを述べると,覚せい剤使用者に余計な知恵を付ける可能性もあるので差し控えます。

逆に,捜査機関としても,被告人の不合理な弁解を砕くために,鑑定残量を利用した再鑑定を行うことが可能となります。

要するに,再鑑定をすべき事案は想定よりも少ないかもしれないが,やはり存在すると考えています。私の文章はかなり断片的な書き方で誤解を招く表現だったかもしれませんが,再鑑定はおよそ意味がないとは考えておりません。

費用対効果の観点から疑問を抱く方々もおられるでしょうが,鑑定後の尿を,しかるべき期間,全件冷凍保管するというのは刑事司法全体にとって正しい在り方だと考えています。

 安全と水がタダでないように、精密司法と適正手続きはタダではできない。このことを、予算決定権を握る方々に理解していただければと思います。行政事務方は、予算と法律が成立すれば、しゅくしゅくと実行する能力はあります。

>全件冷凍保管するというのは

アッチの話ですが、おぐりんのエントリーの趣旨は概ね正当と思います。
「まかり通る」の表現は、モトケンさんのコメの様に意味を追求しなければ判明しない印象操作ですが。

但し、証拠捏造のハードルを上げる為ならば際限ない話です。保存は裁判が結審するまで全て保存まではせずとも「裁判所が指定する、或いは一定期限内に弁護側の要求が有るまで」でもハードルはかなり上がります。

また、実際に再検査が可能に成ったらほとんど「実行」しないことは、実施以前でも想像可能です。

予算手当てを考える前に弁護士(側)に問質せば、弁護のテクニックで弱点をつつく程度の意図なのは顕に成ったと思います。

前コメの「イヤミ」の表現には「再検査の要求が不能と言う弱点をつき破り当面する裁判で勝利するだけの力も無く、再検査可能でも勝訴目的で実行する真剣さも無いようだ」の意を含んで居ますから。
la_causetteの論点とは相当なズレが有ります。>おぐりんさま

全面的に同意致します。

弁護人として捜査側の提出した鑑定書を見るとき、「このような作成過程も良く分からない紙切れ1枚で被告人を有罪にしてしまって良いのか?」という疑問に襲われることがあります。

この時、捜査側が残余資料を保管して再鑑定の可能性を確保しているとすれば、その紙切れの背後には「何度再鑑定をしても結果は同じである」という捜査側の絶対的な自信が控えていることになり、信頼性も全然違ってくるわけです。

弁護人としても、被告人に再鑑定の意向を尋ね、被告人が再鑑定を求めないとすれば、自白方向での方針を立て易くなります。

 特にKTさんへの返信ということでもないのですが、
 捜査検事の意識の中には、公判段階における無駄な争点を作らない、潰しておく、というものがあります。
 そしてその意識はかなり警察にも浸透しています。
 ですから、警察現場としても再鑑定用の尿を残しておくことの必要性は感じていたと思います。
 今までそれをしなかったのは、すでに指摘されていますが、設備上の問題が決定的であったと思われます。
 ずさんな保管体制であれば、検体の変質だけでなく、検体の同一性の問題が直ちに生じます。(私はこっちの問題のほうが重大だと考えていますが。)
 そして、設備の問題は当然に予算の問題に直結します。

 で、何が言いたいかと言いますと、警察に対して陰謀体質だと決めつける意見には賛成しがたいということです。
 もし、陰謀論の土俵で考えるなら、いつも言っているように陰謀論の世界は何でもありですから、再鑑定用の検体を保存したからといって、陰謀の抑止にどれだけ効果があるのかはなはだ疑問だと思います。

 調和点として、
尿鑑定書があれば事実上の推定がはたらき、鑑定の真正を疑わせる具体的事実を弁護人が疎明(厳格でない証明)すれば上記推定が破られて、検察官は再鑑定などより精密な立証を要する
というのでは、どうでしょうか?
 それを担保するために、
鑑定残尿の保存命令を被告人弁護人が申し立てられる
というのもありかと思います(刑事訴訟法改正草案のログ保存命令を参照…パクリ(^^ゞポリポリ…)。

表現として品格を欠いたと言われればその通りですが、捜査官・裁判官は、私人とは異なり、最も強大かつ直接的な国家権力を行使する立場にある者であって、その権力行使は不断かつ厳格な監視に晒されなければなりません。

そして、令状審査の形骸化は半世紀以上にわたって繰り返し批判されているところであり、良心的な裁判官からも同様の指摘があります。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/1998_2.html

ところが、彼らは一向に権力の濫用を改めることなく、相も変わらず「人質司法」を続けているのです。

ところで、「人質司法」から脱却するのは、実は簡単です。何の予算も人員も必要ありません。ただ捜査官と裁判官がまっとうな市民感覚を発揮し、強制捜査の要否・当否を誠実に判断すれば足りるのです。

要するに、彼らは、改善しようと思えば容易に改善できることをせず、深刻な人権侵害を撒き散らして善良な市民の生活を破壊しているわけです。

このような悪しき体質は、市民としても法律家としても、満腔の怒りを以って糾弾すべきと考えます。低レベルという表現が問題なのであれば、「市民的常識・良識に乏しく、人権保障の意義を正しく理解しようとしない、権力の濫用を恥じない人々」とでも言えばよろしいのでしょうか?

これが批判でなく罵倒だというのであれば、最新のエントリで紹介された奈良地裁の判示「親としての資格は全くない」なども、とんでもない罵倒、人格攻撃、中傷ということになりますね。

「捜査機関による証拠の捏造」や「取調官による拷問・脅迫・侮辱・偽計・利益誘導等がしばしば介在する」などと主張し、証拠の信用性を否定されようとするのであれば、今度は反対に弁護側に「捏造である証拠」や「拷問・脅迫・侮辱・偽計・利益誘導が行われた証拠」を示す必要が出てくることは言うまでもありません。

証拠を「示す」という表現に貴殿の注意深さを感じますが、一般の方の誤解を招く余地があるとも思われるので、あえて明確に述べておきます。

被告人・弁護人に、「検察官請求証拠が捏造であること」や「取調べに任意性がないこと」を立証する責任はありません。

検察官の方で、「捏造されたとの疑いがないこと」「任意の取調べであったこと」を立証する必要があるのです。

そして、捜査機関側が、取調室の密室性を悪用して、拷問・偽計・脅迫・利益誘導等による虚偽自白を獲得してきた以上、調書の任意性が認められるためには、単に書証を請求するだけでは到底足りず、何らかの積極的な立証や材料(弁護人の立会い、全面的可視化等)が求められると解すべきです。


「可視化されていない=不正が行われている」とはならないことも留意されておくべきだと思うのです。

繰り返しですが、弁護側が「不正が行われていることの立証」を求められるのではなく、検察官において「不正が行われていないことの立証」が必要です。

そして、可視化を拒むということは、「不正がないことを自ら容易に立証できるのに、敢えて立証しない」と同義です。これをどう評価すべきでしょうか。

ところで、覚せい剤の常用者が「もうクスリは止めました」と主張しながら、その検査を頑強に拒んだとしたら、どのようにお考えになりますか? 「本当にやってないなら検査させればいいだろう」とはお考えになりませんか? 

>要するに、彼らは、改善しようと思えば容易に改善できることをせず、深刻な人権侵害を撒き散らして善良な市民の生活を破壊しているわけです。
>このような悪しき体質は、市民としても法律家としても、満腔の怒りを以って糾弾すべきと考えます。低レベルという表現が問題なのであれば、「市民的常識・良識に乏しく、人権保障の意義を正しく理解しようとしない、権力の濫用を恥じない人々」とでも言えばよろしいのでしょうか?

 ここまで来ると,素人の私にでも,理念や観念を超えて,タダのアジ演説に聞こえます。同じようなフレーズをよく大学時代に聞いたなあ。「撒き散らし」「市民生活を破壊」「満腔の怒りを以って糾弾すべき」「良識に乏しく」「権力の濫用を恥じない」……。その具体例は引用されたリンク1つだけで全体全部を判断するんですか?
 さて,貴兄に寄せられた質問に誠実に回答しないのは,正常な市民的常識や良識(ネチケット)なのでしょうか?

 令状審査が形骸化しているというか審査はしているもののハードルが低すぎる、と表現すべきかとは思いますが、たしかに人質司法の改善は必要です。実はこのブログでも何度も議論していることなので目新しい論点ではなかったりしますが。
 ただ一方で検察官的な表現を借りると、人権保障を厳格にやりすぎると社会正義の実現が困難となり、ひいては国民生活の安寧をも脅かす結果となりかねない、という考えもまた無視して良いものとはいいがたい。
 社会の安全を過度に求めれば人権保障が後退し、不当な拘束をされる市民が増えますし、人権保障を過度に前面に押し出せば犯罪者が野放しになってしまう・・・。
 さて、どこら辺でバランスをとるべきなのか、というと、結局国民の感覚に委ねられるべきなわけですな。ただ、「市民的常識・良識」というものは、常人にはそうそう容易に認識すること困難ですから現在実務上運用されているバランス点が常識に反するかどうかについては慎重に評価したいです。
 私としてはあくまで主観的に「今のバランス点はおかしいんじゃない?」と個人的には考えている、と述べるにとどめたい。
 運動論としてはこうした主観的な問題意識を持っている者、特に弁護士はこうした問題について問題提起をしていくことが社会的に求められているとおもうのですが、そうするとfuka-fukaせんせのコメントに帰着しちゃうのかな~、という雑感を持ちました。なんかすごく理解に時間がかかるというか、善解を経る必要があったというか。まあ私の読解力不足による部分が大だとは思うのですけどね。

弁護活動としては、尿鑑定の信用性を前提にするならば、故意による摂取以外の摂取の可能性を主張し、できるだけ立証に努めるしかないのではないかと思います。  被告人が黙秘するのであれば、弁護人が一般論的に故意によらない摂取の可能性を指摘したり、一般論的な検察官の立証責任の確認をすることくらいでしょうか。

勿論それらの指摘はするわけですけれども。


それ以前の問題として、

「尿鑑定が陽性であったこと」だけで「故意による摂取」であると事実上推認するという慣行ないし思考経路がないか。

そのような考え方は、そもそも合理性があるのか(※)。また、法律の規定によらず立証責任を事実上転換するものではないか。

という疑問があります。

恐らく、背後には、単独使用の場合「故意による摂取であることの立証」が自白以外には困難であるという事情があるのでしょうが、そのような政策的理由から、立証責任という刑事訴訟の大原則をゆるがせにすることがあってよいのでしょうか?


※ 近時、覚せい剤成分を含む錠剤型のドラッグも出回っているようであり、注射・吸引・塗布等の伝統的使用方法によらず、覚せい剤であるとの明確な認識もないままその成分が体内に入ることも、十分に考えられます。「ひょっとしたら違法なクスリかも」という程度の識があっても、麻薬取締法はともかく、覚せい剤取締法違反に問うことは本来できないはずです。

>運動論としてはこうした主観的な問題意識を持っている者、特に弁護士はこうした問題について問題提起をしていくことが社会的に求められているとおもうのですが、そうするとfuka-fukaせんせのコメントに帰着しちゃうのかな~、という雑感を持ちました。

 私もfuka-fuka先生のコメントがわかりやすく共感しました。もちろん理想論や理念はフレームワークとして(基本アルゴルとして)大事ですが,これを具体的論点の論述まで平易に掘り下げないと,素人はアジ演説の騒音に反発するだけで,意図したことと逆効果しか生じないと思います。
 われわれコード屋ベンダー屋でも,コンプライアスからキッチリとしたエビデンスがクライアントから求めれる時代なのです。素人を説得啓蒙するなら,反発を招く感情的表現を意図的に抑制して,もう少しわかりやすい平易な文章を使った方がいいですよ。感情的絶叫調は市民が高目路線と無意識で反発しますから。>パブ弁!さん

>ひょっとしたら違法なクスリかも」という程度の識があっても、麻薬取締法はともかく、覚せい剤取締法違反に問うことは本来できないはずです。

 未必の故意と法定的符合説ではどうでしょう?
 指摘されたとおり未必の故意が認められるなら,次は麻薬と思って覚醒剤を使ってしまった者の罪責です。

パブ弁さんはいったいどのよな実務修習をなさったのでしょうか?
検察官が証拠能力や供述の任意性を争われることをどれほど嫌がっているかは修習中に痛いほど分かると思うのですが…

確かに供述調書は捜査官による口述で,ある意味作文なので,迫真性を信用性の基準にすることは無意味だと思いますが,尿の鑑定が捏造である場合があると本当に考えていらっしゃるのでしょうか?

裁判官の令状審査についても批判的なご意見なご様子ですが,少なくとも刑事訴訟規則第百四十三条の三によれば,裁判官は明らかに逮捕の必要性がない場合以外は逮捕状を発布しないと,そのことが違法になるということをご存知な上でおっしゃっているのですよね?

そしてパブ弁さんの修習先の裁判所では裁判官はそれほどいい加減に令状審査をしていたのですか?
私の修習先の裁判官はそれほどいい加減な審査をしているようには思えませんでしたが?

ところで覚せい剤の自己使用についての構成要件についての質問についてはご返答頂けないのでしょうか?

>No.59 かにさん
仮に被疑者が弁護人からの教唆により、虚偽の供述を行ったとしても、それが虚偽であることの立証は捜査機関側が行わなければなりません。
そして、秘密交通権は保証されていますから、捜査機関側は、被疑者との人間関係を構築することにより虚偽の供述をさせないようにするか、他の証拠等により供述が虚偽であることを見抜き、それを証明するしかありません。
もちろん供述が虚偽であることが明らかになれば、より厳しく罰せられる可能性が高くなるというリスクも存在します。

>No.81 Souさん

費用対効果の観点から疑問を抱く方々もおられるでしょうが,鑑定後の尿を,しかるべき期間,全件冷凍保管するというのは刑事司法全体にとって正しい在り方だと考えています。
同意です。
私自身も、鑑定試料の保管は、鑑定の正当性や、鑑定結果の証拠能力を担保するためにも必要であり、今後拡大されていくものであると予想します。
そして、そういった「再鑑定可能な試料の保存による証拠能力の補強」がない鑑定結果について、その証拠能力に疑問符を付ける訴訟戦術は認められて然るべきであると考えます。

もちろんその他の証拠によって補強されていれば、全量消費の鑑定結果でも証拠能力が認められることも問題はないと言えますが。

ただ捜査官と裁判官がまっとうな市民感覚を発揮し、強制捜査の要否・当否を誠実に判断すれば足りるのです。

市民感覚というものは人それぞれだと思いますが

一般庶民としては、検察側が「覚醒剤の使用」を立証したとすれば、「故意による覚醒剤の使用」か「不作為による覚醒剤の使用」かを立証するのは、弁護側の仕事だという認識を持っています。


庶民感覚では覚醒剤の使用は故意によるもの以外を考えにくいからです。


あくまでも庶民感覚であり、法律の専門家の見解はまた異なるのでしょうが。

>私自身も、鑑定試料の保管は、鑑定の正当性や、鑑定結果の証拠能力を担保するためにも必要であり、今後拡大されていくものであると予想します。

 私もそう思います。予算さえ付けてもらえば、ハコモノ建設や設備導入は日本の公務員のお家芸ですから。(^^ゞポリポリ
 こうなったら、「オシッコの保管庫より、特産品のメロン、ジャガイモ、アイヌねぎ、ハスカップ(w)の保冷庫が先だ!(選挙区の特産品の方が大事かよ!)」という地方議員の説得に磨きをかけないと。
 マジレスしますと、直接は票に結びつかない公益予算(法の支配や適正手続きの保障や証拠裁判主義に由来)の確保に国民や住民の皆様のご支援をお願いします。m(_ _)m

 弁護士でもない私が横レスする失礼をお許しいただければ、早くも昭和年間に、判例が確定しています。大麻を除き、薬物の種類は別として「使用」は、ほぼ構成要件が重なりますので、重なりあう限度で低い法定刑の範囲内で有罪となります(法定刑もほぼ同一ですが)。
 たとえば、「ヘロインの認識の下に覚せい剤錠剤を嚥下して使用した。」という判決を聞いたことがあります。法令の適用の記憶があいまいなのなので(学生だったので重要性がわからなかったw)、概念的には法定的符合説にたった判決なのか、罰条同一説を採用した判決なのかは判断できませんが。
 そこのところは、現職弁護士のパブ弁!氏から回答があると思います。この判例理論は「いわゆる未必の故意にも妥当する」というどこかの高裁判例があった記憶です。

被告人・弁護人に、「検察官請求証拠が捏造であること」や「取調べに任意性がないこと」を立証する責任はありません。

検察官の方で、「捏造されたとの疑いがないこと」「任意の取調べであったこと」を立証する必要があるのです。

あ~、そんな主張が裁判官や今後の裁判員の皆さんに通用するといいですね。
主張が通らなくて裁判に負けても、それはパブ弁!さんのオルグが不足していただけでしょうから、裁判官や検察官を恨むのは筋違いだと御理解下さいね。
ところで、覚せい剤の常用者が「もうクスリは止めました」と主張しながら、その検査を頑強に拒んだとしたら、どのようにお考えになりますか? 「本当にやってないなら検査させればいいだろう」とはお考えになりませんか?
お考えになりませんよ。
通常ある人物に対し覚せい剤使用の疑いをかけるためには、その人物が覚せい剤取締法違反の前歴者であるだけでは足りず、外見的な使用の痕跡(注射痕等)や外見的特徴、言動等から総合的に判断するべきであり、「お前前科があるだろう、怪しくないなら尿を出せ」なんてアホなことはヤクザ相手でも言いませんね。
「尿鑑定が陽性であったこと」だけで「故意による摂取」であると事実上推認するという慣行ないし思考経路がないか。
覚せい剤の「故意による摂取」が認められるのは、自己使用を被告人がすんなりと認めて、その供述に信憑性がある場合でしょう。
もしかしてパブ弁!さんは、自己使用否認事案において、毛髪鑑定が積極的に行われていたり、ポリグラフ検査や注射痕の鑑定が行われていたり、アリバイ捜査が徹底して行われている事実を御存じないのでしょうか・・・。
全体として感じるのですが、どうもパブ弁!さんは裁判所や検察、警察を少々侮っておられるのではないでしょうか?
それは御自身の嗜好が認識を曇らせているのか、経験の問題であるのかは分かりませんが、「自身の認識の及ばない所」に対する視点が決定的に不足しているように見られます。
まあそれが御自身のお仕事にどのように影響されているのかは存じ上げませんが。

 これまた横レスを失礼します。m(_ _)m
>庶民感覚では覚醒剤の使用は故意によるもの以外を考えにくいからです。

 最近傍聴した判決では、「覚せい剤は高価な薬物であるから、いたずらに誤飲させたとは考え難いから、特段の事由がない限り、尿中より覚せい剤が検出されたら、故意に摂取したと推認するのが合理的かつ自然である。ところで、被告人の携帯電話には密売人との通話履歴があり、被告人の右腕肘部内側には発赤を伴う真新しい注射痕があり……被告人が覚せい剤をいたずらで混入させたと主張するaは、犯行時期からさかのぼる1カ月前に逮捕勾留されてそのまま実刑判決を受けて……犯行当時に被告人とaが会うことは不可能だったと認められ」というのがありました。ご参考まで。m(_ _)m

 「まっとうな市民感覚」ってどんな物なのでしょうか。人質司法に問題があると言われれば、確かにそうだと思います。しかし、ハードルが高すぎて容疑者が野放しになってしまうと困るだろうと言われれば困ります。自分や身内の者が被疑者になった場合と、被害者になった場合では考え方が正反対になってもおかしくありません。

 刑事弁護士さんの言う「まっとうな市民感覚」って、被疑者側の市民感覚に偏っているのではないでしょうか。被疑者側に立つ事が多い立場に居ながら、自分はバランスの取れた「まっとうな市民感覚」を持っていると自信を持って言えるものなのでしょうか?

 人質司法が問題であるということには同意できますが、それが起きてしまう原因を「まっとうな市民感覚」とか「警察官や裁判官はもともと低レベル」で片付けてしまうのは、ただ単に「悪いのは全部裁判官と警察官だ」と言っているだけで、問題の本質を深く考えようとしていないように感じます。

 少なくとも、裁判官や警察の体質の問題であり、体質を改めなければならないのだとしても、体質を改めるためにはどのようにすれば良いかという現実的な方策まで踏み込んで考えなければ、ただの愚痴で終わってしまうと思います。

被告人・弁護人に、「検察官請求証拠が捏造であること」や「取調べに任意性がないこと」を立証する責任はありません。

検察官の方で、「捏造されたとの疑いがないこと」「任意の取調べであったこと」を立証する必要があるのです。

この部分は刑訴法の解釈上パブ弁さんの主張が正しいと思いますよ。

ただ,具体的に理由を説明せず漠然と主張した場合に裁判所にスルーされる可能性が高いとは思いますが。

ミランダの会などの主張を別すれば,任意性について疑いが生じる事由については被告人・弁護人が具体的に主張する必要があるとするのが実務の扱いだと思いますが(およそ任意性に問題がないということを検察官に立証させることは困難であるし訴訟経済にも反するので),証拠能力に関する立証責任も検察官が負っていることは刑訴法の解釈上当然だと思います。

 またまた横レス失礼します。

>体質を改めるためにはどのようにすれば良いかという現実的な方策

 個人的見解としては、取調べ全面録音録画という生ぬるい方策よりもミランダルールに則って弁護人の取調べ立会権の法定化でしょう。ただ、日弁連が笛吹けど、被疑者国選弁護の登録弁護士では画餅に帰する恐れがあります。不登録の理由が国選報酬の安さを掲げる弁護士先生が多いので、当面の間、報酬を2倍に引き上げる司法予算措置もありかと思います。
 これは、国家予算(国税)なので、国民の皆様のご支援が必要かと愚行します。m(_ _)m

>任意性について疑いが生じる事由については被告人・弁護人が具体的に主張する必要があるとするのが実務の扱いだと思いますが(およそ任意性に問題がないということを検察官に立証させることは困難であるし訴訟経済にも反するので)

 私が知っている範囲でも、判例の結論も理論的根拠もそのとおりです。いわゆる「事実上の推定と挙証責任」という論点だそうです。

証拠能力に関する立証責任も検察官が負っていることは刑訴法の解釈上当然だと思います。
あ、それは理解しております。

私が弁護側が示すべきであると主張するのは、「証拠能力や供述の任意性に疑義を与える具体的事実の提示」と「その具体的事実の存在を示すに足る根拠」です。

「その具体的事実」に対する反証は検察側が行うものであると理解しております。

「捏造や脅迫があったことを立証せよ」と言うつもりではないのですが、ちょっと書き方が拙いもので、ご指摘感謝いたします。

アメリカで取調べに弁護士が立ち会うということは,何も供述しないということを意味するのですが,同じことが日本で可能でしょうか?

日本では,故意だけではなく,目的犯の目的など主観的要件が問題となる構成要件があるので,取調べを認めないことを意味する弁護士の立会いをすんなり認めることができるかはかなり疑問です。

>日本では,故意だけではなく,目的犯の目的など主観的要件が問題となる構成要件があるので,取調べを認めないことを意味する弁護士の立会いをすんなり認めることができるかはかなり疑問です。

 よくそこが誤解されますが、主観的構成要件要素は、米国連邦法に限り、不存在挙証責任は被告人弁護人に全部転換されます。被告人質問ですら、宣誓の上で真実供述義務が発生します(責問権と黙秘権の放棄が当然の前提:徹底した処分権主義)。田宮先生もチラリと講演で述懐されてましたが、制度の違いを無視して法制度の輸入は疑問である、と。
 ちなみに、ドイツ刑事訴訟法では、被疑者勾留は1カ月単位で、重罪は原則更新無期限です。またフランス刑事訴訟法(ラント法を除く中央国家刑事訴訟法)では、起訴前の予審で1~3年の未決拘禁はざらです。これって人権侵害(以下略。

「本当にやってないなら検査させればいいだろう」とはお考えになりませんか?
どこかで似たような発言があったと思ったら、前エントリのパブ弁!さんコメントNo.205では
取調べの可視化と通じるところですが、適切に運用しているなら、堂々と内容を明らかにして説明責任を果たせばいいんですよ。
個人と権力の差はあるけれど、もともとは同じ発想ですよね。

ない頭を絞ってNo.72を考え続けましたが、こういうことでしょうか。
米にはバーゲニングがあるから、有利な条件で取引できるから、弁護士が取り調べに立ち会うと、「この条件なら自白していい」という助言ができる余地がある。ところが、そういう制度なしに立会を認めると、有利にされる保証がないので、黙秘か否認を勧めるしかなくなり、かなり違ったものになると。
否認のみ適用ということは、取引で自白したとしても自白事件だから裁判手続きは全く違うものになるということでしょうか。そう言えばニュースでも自白事件の陪審裁判というのは聞いたことがないので。
ハスカップさんと語る、になって申し訳ありませんが。

 司法取引は弁護人の立会を要件とすう州法が多いようです。ちなみにヘイビアスコーパス(逮捕直後の裁判官の面前で引致されること)で裁判官と司法取引するときも、公開の法廷ですから当然ながら弁護人がいます。
 いずれにしろ弁護人から法的助言を得るまで供述しない、弁護人と相談の上でどのような供述をするか操作できる(虚偽でもかまわない処分権:連邦最高裁判例)という法制度です。

>ハスカップさん
 大事な説明をいろいろありがとうございます。

 ところで、パブ弁!さんは日本における「司法取引」の採用については賛成なんでしょうか反対なんでしょうか?

ありがとうございました。
虚偽でも構わないというのは、米流自己責任とか、それがラフジャスティスか、と感じそうです。

トピズレかも知れません。
アメリカの刑事ドラマの逮捕シーンの定番の台詞に
「あなたは弁護士を呼ぶ権利がある。あなたは黙秘する権利がある。これからあなたが発する言葉は証拠として採用される可能性がある云々」
というのがありますが、日本ではそのようなことは言われないのでしょうか?
 私の同僚が痴漢(私は冤罪だと思っています)で捕まったときは、弁護士以外とは接触できないと言われ、携帯も取り上げられたため、会社にも連絡できなかったようです。

 パブ弁!さんは、ここに何をしに来ているのでしょうか?
 私は、議論の場としてこのエントリを設定しました。
 議論というのは、考えや主張の違う者同士の相互説得と言い換えることができると思います。
 あなたは、説得ということを考えていますか?
 すでに指摘されているところなんですけど。

要するに、彼らは、改善しようと思えば容易に改善できることをせず、深刻な人権侵害を撒き散らして善良な市民の生活を破壊しているわけです。

このような悪しき体質は、市民としても法律家としても、満腔の怒りを以って糾弾すべきと考えます。低レベルという表現が問題なのであれば、「市民的常識・良識に乏しく、人権保障の意義を正しく理解しようとしない、権力の濫用を恥じない人々」とでも言えばよろしいのでしょうか?


 
 このようなカキコをするから「アジ演説」に聞こえると言われるのです。
 ここはアジ演説が通用するような場所ではありませんよ。

 そしてあなたのコメントは表現の問題にとどまらない問題があります。
 それは、自分の基準が正しくて相手(裁判官など)が悪であるという決めつけです。
 こんな二項対立的善悪論で司法制度を語れるとでも思っているのですか?
 刑事訴訟法1条は以下のように刑事司法の目的を宣言しています。

 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

 あなたは、個人の基本的人権の保障の全うだけを考え、それに反する一切の主張を悪とし、行動を権力の乱用と言っているように読めます。
 被疑者・被告人の利益を守る立場の弁護人としては、そのような理念も観念論的には理解できます。
 しかし、裁判官にも同様のことを求めるとすれば、それは理念的にも偏った考えと言わざるを得ないでしょう。

 私も、裁判官の人質司法体質には憤りを感じる一人ですが、私は人質司法体質を権力の濫用とは見ていません(濫用的な場合があることを否定するのではありません)。
 令状判断におけるバイアスの問題と考えています。

 裁判官の判断を、「濫用だ」と批判しただけでは、「濫用でない」という反論が返ってきてそれでおわりです。
 あなたは、強い表現を使えば説得的な批判になると考えているのではありませんか?

 人質司法という結果にはそれなりの原因があると考えることが論理的です。
 なぜ、裁判官には人質司法的バイアスがかかっているのかを問題にし、それを変えて行くにはどうすればいいか、ということを考えないと、アジ演説どまりになってしまうのではないでしょうか?

リンク先の、 コメントNo.167 の内容を読む限り、パブ弁!さんのご意見に概ね同意です。

弁護士(として従来コメントされていたKTさんと同一人とお見受けします)として、「概ね同意」されてよい内容でしょうか。

No.167

令状は、請求すれば出すというのが実情です。差押令状より厳格な審査が求められる逮捕状でさえ、却下率0.03%程度という異常な現状があります。
資料は、一応形式だけ整っていればオーケーですので、警察官や裁判官の仕事なんて楽なもんですよ。この辺りは旧態依然とした体質なので、「質が低下」したのではなく、もともと低レベルだというのが正確ですけどね。

このような表現も含めて丸々賛同、と受け取られてしまうように思いますが、それでよろしいのでしょうか。

特に、「低レベル」と評した場合、「自分ならばもっともっと適正な運用が可能だ」という含意があると当然読まれてしまうと思いますが、パブ弁!さんやKTさんはそのご自信がおありなのでしょうか。
私はありません。

また、KTさんご自身のご意見としても

大野病院事件の逮捕勾留を始め、裁判所の令状審査が形骸化していることは明らかで

とのことですが。
私自身は、令状裁判官は、時間的な制約がきわめて大きい中、可能な限り資料を読み込み、実質的に判断しているが、逮捕・勾留の理由(必要性・相当性)について緩やかに認めすぎという印象を抱いております。
形骸化」といった場合、ややニュアンスが異なるのではないかと感じていますが、いかがでしょうか。
(「形骸化」と表現した場合、逮捕状の却下率0.03%という数字が相当数の請求取下げによって支えられていることや、勾留の場合には年1,000件却下されていることとの整合性の説明が必要になるように思われます)

それ以前の問題として、

「尿鑑定が陽性であったこと」だけで「故意による摂取」であると事実上推認するという慣行ないし思考経路がないか。

そのような考え方は、そもそも合理性があるのか(※)。また、法律の規定によらず立証責任を事実上転換するものではないか。

という疑問があります。

 すでに反論がコメンとされていますが、これは立証責任の問題ではなく、間接証拠による故意の認定の問題ですね。

 尿から覚せい剤が検出されるということは、覚せい剤が何らかの経緯により身体に摂取されたことを「証明」すると言っていいと思います。
 そうすると、ここで問題になるのは摂取が故意によるものか否か(被疑者・被告人の意思に基づいて摂取されたか否か)ですが、この点も強く推測されるというのが「まっとうな市民感覚」だと思います。
 被疑者の意思によらずに覚せい剤が摂取されるという状況は、相当異常または不自然な状況しか想定するのが困難だからです。

 裁判官の一般感覚のほうがまっとうな市民感覚より慎重かも知れません。

田宮先生もチラリと講演で述懐されてましたが、制度の違いを無視して法制度の輸入は疑問である、と。

 私もそこが問題だと思っています。
 各国の刑事司法制度は、その全体で、さまざまな対立矛盾する要請のバランスをとっていますから、その一部だけを導入しても自国の制度のバランスが崩れるだけだと思います。

隣接士業者として専門外の刑事司法の議論を、大学法学部の一般的刑事司法の講義レベルより遙かにハイレベルと感じつつ、ここ数日興味深くROMさせて頂いておりました。

ところでパブ弁!様のご意見や主張の為され方ですが、「~の反論の余地がある」とか、「反対者に~と言われかねない部分がある」といった論理的可能性と思える部分を、「~であることが明白である」と断言してしまう。あるいは断言しているように読み手に印象づけるような言い回しを好んで使われるように感じる。でも事実を評価する上で「余地がある」ということと「明白である」ということは、絶大な違いがあると思う。

些細なことでも最大限に印象づけるよう陳述する技術に長けていることは、裁判という法廷の場での討論主張のパフォーマンスとしては、弁護士として非常に大事なテクニックことだとは想像する。ただしその主張テクニックは、論争が攻撃と防御という2者対立構造での議論であって、その2者双方の主張を討論には直接参加しない第三者が判定するような議論スタイル(裁判官を前にして主張し合う法廷などはその典型)において有効なテクニックであろう。

しかし、様々な立場の人間が自由に議論に参加できて、同時多角的に多数の意見が飛び交う「乱闘」的スタイルの討論、すなわちこうしたブログの投稿欄などでの主張テクニックとしては、最適の手法とは言い難いように感じる。此処のブログ投稿欄のように多数の者が自由に参加して討論する場においては、裁判長など判定者への説得や賛同を得ようとしてもそうした判定者の役割の者がおらず、全員が討論相手であり判定者ということになる。

こうした討論の場においては参加者の賛同を一人でも多く獲得出来るよう、針小棒大的な主張パフォーマンスを控えて、誠実かつ公正な議論スタイルを印象づける謙虚さを感じさせる主張技法の方が、結果的により多く理解と賛同を得られるものと思う。その点でパブ弁!様の議論主張のスタイルが、このブログ投稿欄のような議論の場に馴染まない違和感を感じる。

法廷では、相手の反論(抗弁)を潰せばこちらのポイントという二者対立での議論構造だが、法廷外のオープンな議論の場では多者多角対立での議論構造になる。そうした違いを上手く使い分けて行かれると、パブ弁!様の主張に理解を示す方もまた増えるのではないかと想像する。

当職などから見ればパブ弁!様は、比較にならない程法知識があり、優秀でかつ熱意のある法律家と思えるので、議論スタイルの使い分けが出来ずに無用な反感を買っていることが、パブ弁!様ご自身にとって非常にご損であるように見えて残念に思う。議論の場に合わせた多用な討論主張のスタイルを身に付けられることは、決してパブ弁!様の主張内容を弱めることには繋がらないし、ご損にはならないと思う。

ご自身の討論や主張のスタイルについて、使い分けを是非ご検討下さい。

連投失礼

このエントリでのハスカップ様の英米法の解説、ならびに司法手順の違いについてのご教示には敬服いたしました。

制度の違いを無視して法制度の輸入は疑問である
この田宮氏の言葉は納得です。

 でありますから、米国で逮捕されたら、弁護人選任権と黙秘権を盾に、裁判官や検察官と司法取引・バーゲニングしましょう。
 ただし、米国に仕事や観光旅行で行けるなら資力がある被疑者と判断されやすい傾向があり、公設弁護人(被疑者国選弁護人)は付けてもらうことは望み薄で、自腹を切ることになります。そして、日本人が平易に訪れる米国都市部の私選弁護士費用は安くないですよ。
 そして、当然ながら、私の大っ嫌いな英語で書かれた米国法令(コモンローを含む)が相手になるので、通訳がついても、日本法やその判例を前提に思考すると愚行になってしまいます。m(_ _)m
 一番怖いのは、帰りに一杯引っかけて地下鉄で帰宅するとき酔いでフラフラやっていると、「酔って公衆の面前に出る罪」という軽罪で逮捕されてしまいます(タクシーで帰りましょう)。

>覚せい剤を入手した経路も、動機も、使用方法も、使用量も、薬理効果の有無

これは自己使用罪の構成要件要素ですか?
検察官がこれらを立証する必要があるのですか?

犯罪の構成要件そのものとしてではなく、「覚せい剤であることの認識」や「故意に摂取したこと」を推認させる事情として重要ではないか(それらの事情が全く立証されていないのに、覚せい剤自己使用の故意が安易に肯定されていないか)という趣旨です。

 そしてその「負担」や「リスク」を負うのは、弁護人ではなく被疑者・被告人です。

当然の前提ですね。弁護人はそのリスクを説明し、最終的な方針決定は、被疑者・被告人が行うことになります。


 ところで、パブ弁!さんやにしんそばさんは、例えば10件の自白事件のうち何件くらいについて、供述調書の原則不同意(全部または大部分の調書の不同意)という弁護活動を行っているのでしょうか?

ずいぶん気軽に「自白事件」と仰いますが。

捜査段階で虚偽の「自白」をさせられるケースは幾らでもありますし、全面的に虚偽自白と言えないまでも、供述中に取調官による誇張が混入していることは常態化しています。

また、法律的知識のない被疑者・被告人が、訴訟上の争点になりうる事項と知らないまま、又は、重要性をよく理解しないまま、取調官の誘導に乗って不用意な「自白」供述をさせられることもしばしば経験するところです。(なお、被疑者・被告人が取調べには問題がなかったと述べたとしても、彼らは何が「問題」であるかの適切な判断ができない場合も多い上、任意性を左右する重要な事項について、その重要性に気付かないが故に弁護人に対する説明をしない場合も多いので、留意が必要です)

「自白事件」の中には、このような事情があるケースや、その可能性が排除できない(弁護人において、任意性に疑いのないことや虚偽自白等でないことの確認が取れない)ケースが多数含まれるわけですから、「自白事件」であるからといって、軽々に調書に同意することは厳に慎むべきです。

他方、そのような心配が現実的に想定し難い「自白事件」では、同意を活用して早期に被告人の地位からの解放を図るべきでしょう。捜査段階から弁護人がつき、出頭前、もしくは逮捕後調書作成前に弁護人による十分な事情聴取と打合せができており、概ねその通りの調書が作成された場合等がこれに当たります。

ただし、その場合でも、口頭主義の見地からは、原則として調書より被告人質問の形式で事実を語らせるべきでしょうし、やむを得ず一部で書面を利用するにしても、結局のところ捜査機関の作文である供述調書よりは、合意書面を活用することが望ましいといえます。

いや、何を「厳に慎むべき」なのか、何を「望ましいといえ」るのかを尋ねられてるんじゃないでしょ。

あなたが事実としてどういう弁護活動を行っているのか
を聞かれてるんでしょ。

弁護活動してないならそう答えればいーじゃん。
誰も怒らないから。

>弁護人による十分な事情聴取と打合せができており、概ねその通りの調書が作成された場合

 これは弁護側の作文とは言わないのですか?

>やむを得ず一部で書面を利用するにしても、結局のところ捜査機関の作文である供述調書よりは、合意書面を活用することが望ましいといえます。

 そんな迂遠かつ危険な合意書面より、弁面調書または被告人供述書(上申書)の方が直截的で合理的なのではありませんか?
 法322条被告人供述調書等と法327条合意書面との証拠能力や証明力からすれば。被告人の供述書は、たいていの裁判官が検察官の不同意を押し切って証拠採用する実務慣行があるわけですし。
====================================================
第三百二十二条 被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
 2 被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。
第三百二十六条 検察官及び被告人が証拠とすることに同意した書面又は供述は、その書面が作成され又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り、第三百二十一条乃至前条の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。

 つまり、合意書面の要件である「その書面が作成され又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り」という加重要件は、検察官が合意書面に合意して弁護人もこれを是認することが当然の前提となります。
 そうすると、「供述中に取調官による誇張が混入していることは常態化して」(No.123 パブ弁!氏)いるのに「口頭主義の見地からは、原則として調書より被告人質問の形式で事実を語らせるべき」(前同)であるにも関わらず、弁護人はその責務を放棄して合意書面という伝聞法則の重大な例外に積極的に肯定・関与するのは、「軽々に調書に同意することは厳に慎むべき」(前同)とのポジショーントークに反することになってしまうのです。

 めそさんの質問は、 パブ弁!さんのNo.8 のコメントの「※」以下に関する質問のようですね。

例えば覚せい剤使用に問われる事案では、「〇月上旬から下旬ころ、東京都内又はその周辺において、何らかの方法により覚せい剤を体内に摂取した」という、おそろしく広汎な起訴状が許容されており、およそ反論(その日はどこで何をしていたから犯人ではない、等)のしようがありません。

 ご指摘の起訴状は、否認事件の場合の起訴状ですが、このような起訴状が許容されているとういことは、覚せい剤自己使用の訴因の特定としてはそれで十分である、つまり被告人に対する防御の範囲の告知という機能の観点から見ても許容範囲だということを意味しています。
 もちろん、許容範囲とは言い難いという意見もあると思います。

 訴因の特定の問題と訴因の立証の問題は被告人の防御という現実問題によって密接な関係性を有しています。

 覚せい剤自己使用否認事件の一般的な証拠関係は、尿鑑定書プラスαです。
 つまり、その程度の証拠で被告人を有罪にしてもよい、という立証の程度の判断が前提となって訴因の特定性の問題も許容されていると考えられます。
 私は、このような判例の考え方は、常識的なものとして是認できると考えています。

 参考サイトとして慶応の安富潔先生のサイトを紹介しておきます。
 訴因の特定

 なお、およそ反論のしようがないわけではありませんよね。
  パブ弁!さんは、なんの防御も考えつかないのですか?


 ところで、

鑑定書1本で機械的に有罪判決が出されるのが現状です。

という表現を一般的な刑事裁判官の判断についての評価として維持されますか?
 特に「機械的」の部分ですけど。

ずいぶん気軽に「自白事件」と仰いますが。

 私は「気軽に」言っているつもりはありませんが。
 あなたも「余計な一言」が多いですね。
 
 私の質問の仕方が厳密さを欠いていたということでしょうか?
 では、質問の仕方を変えます。

 ここでは被疑者調書の任意性及び信用性に問題がない事件を自白事件と言うことにします。

 パブ弁!さんは、弁護士になってから何件くらいの刑事事件を受任されましたか?
 その刑事事件の中で、パブ弁!さん自らが自白事件であると認定した公判請求事件は何件くらいありましたか?
 上記のパブ弁!さんが自白事件であると認定した公判請求事件において、供述調書の原則不同意(全部または大部分の調書の不同意)という弁護活動を行った事件は何件くらいあるのでしょうか?
 追加してお聞きしますが、パブ弁!さんは合意書面を作成された経験がありますか?

 なお、件数については記憶に基づく大雑把の数字でけっこうです。


 もう一つの質問にもお答えいただけると議論が深まると思いますので再質問します。

 パブ弁!さんは、日本に司法取引を導入することについては賛成ですか反対ですか?

 ちょっと揚げ足取りっぽいかも知れませんが

>全面的に虚偽自白と言えないまでも、供述中に取調官による誇張が混入していることは常態化しています。

 これは同感ですけど、勾留当初から受任しているならこの問題は相当程度防止できます。被疑者の性格にもよりますけど。
 起訴後に受任した場合は、誇張の有無や程度を見極める必要があるのはご指摘のとおりです。

>また、法律的知識のない被疑者・被告人が、訴訟上の争点になりうる事項と知らないまま、又は、重要性をよく理解しないまま、取調官の誘導に乗って不用意な「自白」供述をさせられることもしばしば経験するところです。

 これも同じですね。
 捜査段階なら、勾留状謄本で勾留事実を確認して、被疑者から事件自体の事実関係や取調の状況を聞けば、争点や捜査側の意図というものはかなりの程度推測できますから、それに基づいて助言することが可能です。
 少なくとも虚偽自白の防止は、起訴前弁護の最重要課題だと考えていますし、起訴前弁護の重要性が強調されるのは、それが可能であるということが前提になっていると思っています。
 まあ誇張表現まで防止するのは難しいですけど、ない事実をあったというような虚偽自白調書の作成を許すのは弁護の失敗と考えています。
 あなたは捜査側の責任と考えるかも知れませんが。

>(なお、被疑者・被告人が取調べには問題がなかったと述べたとしても、彼らは何が「問題」であるかの適切な判断ができない場合も多い上、任意性を左右する重要な事項について、その重要性に気付かないが故に弁護人に対する説明をしない場合も多いので、留意が必要です)

 誰に対して言っているのか知りませんが、まさか接見において被疑者・被告人の言いたいことだけ聞けば足りると思ってるわけじゃありませんよね。
 弁護人から被疑者・被告人に対していろいろな観点から質問を行えば任意性に関する問題も浮かび上がってくるものです。
 それができないようでは刑事弁護士としての基本的なスキルが十分でないことになります。

>「自白事件」の中には、このような事情があるケースや、その可能性が排除できない(弁護人において、任意性に疑いのないことや虚偽自白等でないことの確認が取れない)ケースが多数含まれるわけですから、「自白事件」であるからといって、軽々に調書に同意することは厳に慎むべきです。

「弁護人において、任意性に疑いのないことや虚偽自白等でないことの確認が取れない」場合というのはどういう場合なんでしょう?
 あなたは自分の事情聴取能力に自信がないのですか?
 弁護人が任意性の有無や信用性の有無を判断できなければ、誰がどうやって被告人の利益を守るのでしょうか?
 任意性の不存在を示す具体的な事実を指摘できなければ、自白調書はいくら不同意にしても採用されてしまいますよ。


 ところで

>他方、そのような心配が現実的に想定し難い「自白事件」

 というのはどういう事件のことでしょう?

そしてパブ弁さんの修習先の裁判所では裁判官はそれほどいい加減に令状審査をしていたのですか?

ああ、そういえば、疎明資料を一瞥して、露骨に被疑者を見下す表情で、「悪いやっちゃなー」などとのたまう裁判官はいましたね。

少なくとも、令状審査において、被疑事実自体が虚構かも知れないとか、疎明試料が捏造かも知れないとか、調書の任意性に問題があるかも知れないなどといった謙虚な姿勢、注意深さを感じたことはありませんね。

自分の基準が正しくて相手(裁判官など)が悪であるという決めつけです。  こんな二項対立的善悪論で司法制度を語れるとでも思っているのですか?

これが、例えば量刑の問題であれば、何が正しくて何が間違いなどとシンプルに決めることはできませんから、「二項対立的善悪論」は不毛、非生産的です。

しかし、人質司法に関して言えば、それを是とする人はいないはずです。内心はともかく。


人質司法という結果にはそれなりの原因があると考えることが論理的です。

モトケンさんは、どのような原因があるとお考えですか?


 なぜ、裁判官には人質司法的バイアスがかかっているのかを問題にし、それを変えて行くにはどうすればいいか、ということを考えないと、アジ演説どまりになってしまうのではないでしょうか?

変えていく方法の一つは、世論の喚起ですね。彼らは、孤高を気取りつつ世間や政治家の反応に極めて敏感なところがあります。

どうしても一般の方には「逮捕」=「犯罪者」というイメージが強く、悪い奴なんだから厳しく扱って当然という意識が払拭されにくいのですが、現実は全く違うのだということを粘り強く発信することが大切だと思っています。

ちなみに、私の認識では、映画「それでも僕はやってない」を殊更に貶め、同時に、その大ヒットを歯軋りしているのは、裁判官と警察官、検察官です。

裁判員制度の導入を控え、マスコミや一般市民が刑事裁判に大きな関心を寄せている現在が、流れを変える絶好のチャンスではないでしょうか? 私も、微力ながら、職場団体の他、中学・高校等での法教育、出前授業をそれなりに引き受けているところです。

大野病院事件などは典型的なケースだと思いますが、「逃亡なんてあり得ないし、罪証隠滅もできるはずがない」のに勾留されてしまった訳ですよね。

今後、全く同様のケースで勾留請求が出た場合に、裁判所がどのような対応をすると思われますか?
実務的な感覚として、あっさり勾留を認めてしまうのだろうということが予測されませんか?

それを「形骸化」と言って悪いなら、「かなり形骸化に近づいている」ということは言えるのではないでしょうか。


なお、私ではないですが、元裁判官で、勾留請求の要件をきっちり審査し、要件を満たさないと思われる請求は遠慮無く却下されていたという方を知っています(今は弁護士として大活躍されています)。
その方は出世するつもりが無いのでそういう仕事が出来ていたのだと思いますが・・・
その方は、勾留の理由が存在することを認めるべき資料の提供について「レベルの高い仕事」を求めたわけですが、検察側は、その方以外の審査の緩い裁判官の担当日を選んで令状請求するようになったそうです。

調書の同意不同意が議論になっているみたいですが、被告人本人がどうしたいのかということが一番大事ではないですかね?

私も、自白事件であっても原則不同意で考えていますが、調書を被告人に差し入れる等して確認して貰って、「このとおり間違いないので同意してください」と言われたら、同意しています。

結果として全部同意になることが多いですが、被告人が気に入らない部分について一部不同意にすることは多いです。

横から失礼します。

大野病院事件などは典型的なケースだと思いますが、「逃亡なんてあり得ないし、罪証隠滅もできるはずがない」のに勾留されてしまった訳ですよね。
どのような根拠に基づき「逃亡なんてあり得ないし、証拠隠滅もできるはずがない」と断言されるのでしょう?
確かに、例示事件での被疑者の身分からすれば「逃走、証拠隠滅の可能性は低い」と考えられるでしょうが、警察もバカではありませんから、「それでも身柄拘束は必要である」旨を疎明します。
それらの疎明資料や、従前の警察と被疑者側とのやり取りに関する状況が分からないのですから、簡単に「典型的なケース」などと言ってしまうのは失当であると感じますね。
また
検察側は、その方以外の審査の緩い裁判官の担当日を選んで令状請求するようになったそうです。
とのことですが、これは、検察官の勾留状請求に関する話と推察しますが、送致後24時間以内且つ逮捕後72時間以内という制限が設けられている勾留請求において、警察からの送致日時に左右される検察官がどのようにして裁判官の担当日を選ぶことができるというのでしょう?
このような真偽不明の与太話で、検察や警察に対する印象操作を行おうとする態度は正直閉口します。

ちなみに、私の認識では、映画「それでも僕はやってない」を殊更に貶め、同時に、その大ヒットを歯軋りしているのは、裁判官と警察官、検察官です。
貧困な認識ですな。 私の周りではなかなかに評判が良かったですよ。 私もなかなか良くできていると思いました。 警察学校での教養で、「不適切な捜査」の例示として活用したらという声が挙がっていたくらいですしね。

あなたは、「捜査機関は平気で虚偽の事件をでっち上げ、証拠を捏造する」と言いたいのかもしれませんが、残念ながら現実はその反対です。
志布志事件とその顛末を見れば分かるように、重大な事案とはいえ、たった一件の事案が発覚しただけで全国20万警察は天地がひっくり返ったような大騒ぎになりました。
その結果、これまで絶対に認容しないはずだった取調の録画まで視野に入れた制度改正を行うこととなったのです。
つまり、違法捜査が発覚した際に被る重大なリスクを背負ってまで警察が事件のでっち上げや証拠の捏造を意図的且つ常態的に行う必要は何処にもないのです。
ただ、思い込みや先走り、焦り、誤認に起因する違法捜査が皆無というわけではありませんが。

>しかし、人質司法に関して言えば、それを是とする人はいないはずです。

 人質司法の実態というものは何だと考えていますか?
 明らかに違法な令状判断だけが問題になるのではありませんよ。
 保釈の問題で言えば、許可しても不許可にしても明らかに違法とは言い難いという裁判官の裁量判断の範囲内(と大多数の裁判官が考える)の領域で生じています。
 そのような裁量判断の問題場面において二項対立的善悪論は妥当しないし役に立たないと言っているのです。
 誰が見ても明らかに違法な令状判断だけを人質司法と言うのであれば別ですけどね。(←この最後の一文はあなたの「内心はともかく。」と同様に余計な一言ですけど。)

>モトケンさんは、どのような原因があるとお考えですか?

 私は裁判官経験がありませんから伝聞等に基づく推測ですが、

未済件数増加の懸念 → 早期結審への不必要なこだわり → 被告人・弁護人が争うことを嫌う(これが言い過ぎなら争点が少ないほうがいいと思う) → 早く自由になりたいという被告人の気持ちを利用して争わさないようにする(これが言い過ぎなら、無駄な反論や時間稼ぎ的な争いを防ぎたい)

というような意識が働いているのが原因ではないかと思います。
 つまり、裁判官の都合が優先しているのではないか、という懸念です。
 そして、裁判官の自己都合優先の意識を助長しているのが、過去の被告人・弁護人の約束違反の存在です。
 典型例を挙げれば、被告人の弁護人が「事実は争わず、罪証隠滅行為など絶対にしない。検察官請求証拠も全て同意する予定である。」などと言って保釈を得ておきながら、公判期日では前言を翻して(または弁護人の解任と新弁護人を選任する手続をとって)、公訴事実を否認し、証拠を争うという弁護活動がたまにあります。
 もちろん、公判前整理手続実施はるか以前の話ですから、このような弁護活動をしたからといって違法でもなんでもありません。
 しかし、裁判官からすれば「騙された。」「裏切られた。」という気持ちが生じます。
 つまり、被告人や弁護士の言葉は信用できないという意識が裁判官の中に生まれても不思議はないということです。
 あなたが、警察・検察・裁判官を信用しないのと全く同じ経緯と論理です。

 で、根本的には、裁判官に対して未済件数減少圧力がかからないことが大事だと思うのですが、そのためには裁判官の増員と建物としての裁判所の拡張が必要になると思います。

 ここで一区切り

 米国流司法取引は、日本なら人質司法そのものと攻撃されますよ(ボソッ>誰とはなく

疑いを持たれた罪のうちナンボか認めれば、手錠を外して釈放してやるヨ、酒も飲みたいダロ、カーちゃんとしっぽりやりたいダロ、コレとコレだけでも認めれば、すぐにも家に帰れるサ。

家に帰りたいか?
それとももう何日か鉄格子の中で暮らすか?
サアどうする被告人!

こんな感じかな、司法取引というのは・・・。

 別にアメリカの制度をそのまま導入する必要はないと思います。
 「取引」というものの本質を踏まえて、どのような制度を採用することが適切かそうでないかを考えていく必要があると思います。

 私は刑事弁護の活性化の切り札は「司法取引」の拡大だと思っています。
 現行の制度でも、あるといえばあります。

 米国流ではなく日本流の司法取引制度の構築が必要だと思います。
 「有罪の答弁」は罪体の証拠調べが原則不要で直ちに情状調べという米国流アレイメントでは、そもそも自白調書が不要です。
 弁護人の取調べ立会権は、下手な司法取引をさせないという重大な機能を有しています。
 米国制度の直輸入で同様なことを日本でもやれというだけは、国民の支持や納得を得ることは難しく、法制度の違いを視野に入れた意見主張をしないといけないですし、それをごまかすために捜査機関への偏見を決め付け認定では自殺行為です。
 もとより、司法取引・刑事免責・アレイメント制度・起訴陪審制度・否認のみ陪審制度・弁護人の取調べ立会権・捜査機関のリソースを上回る犯罪の増加・高額な私選弁費用など、諸般の事情を総合考慮して一国の刑事司法システムはできあがっているのです。

続きです。

>変えていく方法の一つは、世論の喚起ですね。彼らは、孤高を気取りつつ世間や政治家の反応に極めて敏感なところがあります。

 私は、世論よりも裁判官の意識を変えていくことが最も大事だと思っています。
 世論を動かすにはマスコミが人質司法に批判的な報道をしないとなかなか難しいですが、人質司法が問題になるような事件のほとんどは、マスコミが取り上げない事件です。

 もちろん人質司法を批判する世論が喚起されれば裁判官の意識も変わっていくきっかけになると思いますので、今回の草なぎ氏の事件については、逮捕の必要性について批判的なエントリを書きました。微力ながら市民感覚に問題意識程度でも生じればよいと思って書いたものです。
 そのような意識が全く欠落している著名な弁護士がいることは残念ですけど。
 なお、私はこれまでもなんどか安易に逮捕がなされているのではないかという観点でのエントリを書いているのですが、ご存知ですか?


>現実は全く違うのだということを粘り強く発信することが大切だと思っています。

 私も、個々の事件の(報道等で知りうる限りの)具体的事情に即して意見を述べています。
 しかし、パブ弁!さんのご意見には具体性が希薄な印象を強く持っています。


>ちなみに、私の認識では、映画「それでも僕はやってない」を殊更に貶め、同時に、その大ヒットを歯軋りしているのは、裁判官と警察官、検察官です。

 その映画の題材の一つとなった事件(「お父さんはやってない」)では、高裁で無罪となり確定しています。
 それなのにどうして、裁判官がその映画を殊更に貶め、同時に、その大ヒットを歯軋りしなければならないのですか?さっぱりわかりません。
 高裁の判断が、裁判官の一般的な感覚から大きくずれている特殊例外的な判断だったとは思えません。
 もしそうなら、検察が上告した可能性が大です。特に検察も歯軋りしているならなおさらです。

 で、警察・検察についてですが、あなたは、警察官や検察官の歯軋りの音を聞いたのですか?
 私の周囲の検事からは、「あの映画はかなりリアルだ。」という声(肯定的評価)が聞こえました。その意味するところは、「あれじゃ無罪だよね。」ということであって、裁判批判ではなく、捜査批判です。


>私も、微力ながら、職場団体の他、中学・高校等での法教育、出前授業をそれなりに引き受けているところです。

 志はすばらしいと思いますが、もし、あなたがこのブログでの発言と同様の感覚で、警察・検察・裁判を語っているとしたら、深刻な危惧感を覚えざるを得ません。

横レスですが

>ああ、そういえば、疎明資料を一瞥して、露骨に被疑者を見下す表情で、「悪いやっちゃなー」などとのたまう裁判官はいましたね。

 「一瞥して」というのは辞書的意味では、「ちらっと見ること」ですが、まさかその裁判官は記録をろくに読みもしないで判断したというわけではないでしょうね。
 それなら相当問題ですが、裁判官は記録は一通り目を通しているのではないですか。
 
 なお、私の経験では、捜査記録の不自然な点というのは、単純な事件では一読すればわかります。
 修習生の記録の読み方とそれなりの経験のある法曹の記録の読み方を一緒にしてはいけません。

 ところであなたはどうしてそのように皮肉、侮辱的当て擦り的な表現を使うのですか?
 そのような言い方をしないと議論ができないのですか?
 自分の思い込みを批判対象に投影している客観性の乏しい意見としか見られないですよ。
 そのような言い方で中学や高校で出前授業をしているのですか?

 
>少なくとも、令状審査において、被疑事実自体が虚構かも知れないとか、疎明試料が捏造かも知れないとか、調書の任意性に問題があるかも知れないなどといった謙虚な姿勢、注意深さを感じたことはありませんね。

 令状審査手続の構造というものを理解してますよね。
 令状の効果に対応した速度優先の制度設計です。
 法律(つまり国民の意思)に基づく制度設計がそうなっているのです。
 そこには、捜査機関に対する一定の信頼があります。
 あくまで「一定の」ですよ。「全面的」ではありません。
 警察としては、その信頼はとても重要です。
 No.136 感熱紙(刑)さんのコメントは掛け値なしの本音ですよ。

 ひとりごとの横レスです。m(_ _)m

>ところであなたはどうしてそのように皮肉、侮辱的当て擦り的な表現を使うのですか?

 どんなにまともで法律的には立派な意見を時に書いても、嫌味・皮肉・当て擦り・嘲笑が満載であるため、法学的な真意と趣旨が伝わらず一般の方から批判ばかりされている某弁護士がいらっしゃいます。これって、自業自得とはいえ、一般の方に誤った認識を普及されせることになり、逆効果だと愚行します。

前半部分にはご返答いただいていませんが、あえて回答しないということでしょうか。
(「そこまではちょっと言い過ぎだと思う」 という論評すら控えるということでしょうか。あるいは 「レベルが低い」 等の評価についてまるまる同意見なのでしょうか。前者であれば 「弁護士はやっぱり身内かばいの体質だなあ」 という、後者なら 「弁護士は想像力が(略)」 という批判を一般の方から受けるおそれがあるように思われます)

実務的な感覚として、あっさり勾留を認めてしまうのだろうということが予測されませんか?

それを「形骸化」と言って悪いなら、「かなり形骸化に近づいている」ということは言えるのではないでしょうか。

私がNo.116

逮捕・勾留の理由(必要性・相当性)について緩やかに認めすぎという印象
「形骸化」といった場合、ややニュアンスが異なるのではないか

と申し上げた点がご理解いただけていないように思えるお返事で、落胆しております。

質問に質問で返されてしまいましたが、私の見解は、

「同種の事件で勾留請求が通ってしまった場合は、勾留の理由を緩やかに認めすぎと思うはず。警察にも検察にも裁判所にも、(加藤先生の件で覚えたのと同程度に)怒りを覚えるはず」

「しかし、私は 『形骸化』 というのは、実質審理をしていないというニュアンスがこもった表現(※)だと理解しているので、『形骸化』 と評するのには躊躇する」

というものです。

 慎重に検討したけれども、それでもなお罪証隠滅(周囲に働きかけて有利な証言の偽証を依頼する等)や逃亡のおそれがあると判断した裁判官に対して 「形骸化!」 と批判したところで、屁~とも思わないと思うんです。
 「形骸化!」 と批判するためには、担当の令状裁判官はそのような「慎重な検討」をしなかったというだけの根拠が必要(でも無理でしょ?内心の問題なんですから)。一方、「勾留の理由を緩やかに認めすぎだ!」という批判ならばそのような制約はない。
 つまり、言葉の定義の問題でもあると同時に、単なる言葉遊びをしているのではなく、議論としての実効性の観点も入っているというのが私見です。

そのような思考を背景に、「ニュアンスの問題が大事!」と強調して質問したのに、「えーでもやっぱ形骸化っぽくない?」 と繰り返されてしまった。
私が「落胆」した理由、他の方には伝わるでしょうか。

ちなみに、「形骸化」の表現に違和感を覚えるという趣旨の意見は、私より先にろくろくびさんが述べていらっしゃいます(No.90)。

検察や裁判所のやり方についてのパブ弁さんの攻撃が過剰だということでパブ弁さんのつるし上げみたいになっているみたいですが、「過剰」な部分を指弾して修正させようとする論調は、司法の問題という本質的な議論からは遠ざかってしまうように思います。

>パブ弁さんの攻撃が過剰だということで

 私としては、過剰な部分を投稿しなようにされて、とりあえず法学的見地や実務的見地から、疑問にひとつひとつ真摯かつ丁寧に回答されればよろしいかと思います。都合のよい回答だけする「質問のつまみ食い」が反感をかっているように思います。

 量的な問題ではないと思ってるんですけどね。

保釈の問題で言えば、許可しても不許可にしても明らかに違法とは言い難いという裁判官の裁量判断の範囲内(と大多数の裁判官が考える)の領域で生じています。

どの辺りの領域が「裁判官の裁量の範囲内」と考えてよいかについて、「裁判官の大多数」と、「良識ある市民」の意識に大きな違いがあるのがそもそもの問題なのでは?

そのような裁量判断の問題場面において二項対立的善悪論は妥当しないし役に立たないと言っているのです。  誰が見ても明らかに違法な令状判断だけを人質司法と言うのであれば別ですけどね

モトケンさんにとっての「人質司法」とは、「裁量の範囲内の判断であり違法ではないが、もう少し好意的配慮があってもよかった」という程度のものも含むのですか? そこまで含めると、打破の対象として「人質司法」と呼ぶ際のメッセージ性、インパクトに欠けるきらいもありますが、そこは感覚の違いということなのでしょう。

 裁判官の自己都合優先の意識を助長しているのが、過去の被告人・弁護人の約束違反の存在です。典型例を挙げれば、被告人の弁護人が「事実は争わず、罪証隠滅行為など絶対にしない。検察官請求証拠も全て同意する予定である。」などと言って保釈を得ておきながら、公判期日では前言を翻して(または弁護人の解任と新弁護人を選任する手続をとって)、公訴事実を否認し、証拠を争うという弁護活動がたまにあります。

場合分けが必要ですね。

まず、保釈後の事情の変化により公訴事実を争うことがありますが、これは、そもそも「約束違反」ではなく、いかなる意味でも批判の対象になりません。勾留中は捜査官の圧力に負けて「自白」させられていた人が、保釈後、家族や友人知人に元気付けられて方針を転換することも多く、このような場合も「事情の変化」があったといえます。

次に、「将来公訴事実を争うことを予定した上で、保釈申立ての段階ではそれを伏せておく」場合です。一見すると信義に反するような印象はありますが、弁護人が誠実義務を負う相手は被告人であって、裁判官ではあり得ませんから、被告人の意思に合致する以上、かかる作戦も許されることになります。

そもそも保釈申立ての段階で公判における主張予定を示す義務は少しもありませんし、公判で争うための証拠・証人を得るために一刻も早い保釈が必要になる場合もあります(公訴事実を争うのは被告人の権利であり、その権利行使のために保釈を得る)。身柄拘束による種々の不利益を避けるため、やむを得ず一時的に「自白」して保釈を得る必要が大きいケースがあることももちろんです。すると、結局、こちらの場合も特に問題視する筋合いのものではないでしょう。

したがって、「約束違反」という言葉は誤解を招きますし、

しかし、裁判官からすれば「騙された。」「裏切られた。」という気持ちが生じます。  つまり、被告人や弁護士の言葉は信用できないという意識が裁判官の中に生まれても不思議はないということです。

自然的事実としてそのような感情が生じるとしても、それは俗に言うところの「逆恨み」、より俗に言えば「逆ギレ」です。

人質司法の原因の一つが裁判官による逆恨みにあるとすれば、問題はいっそう深刻、かつ低レベルですね。

お聞きしますが、

 で、警察・検察についてですが、あなたは、警察官や検察官の歯軋りの音を聞いたのですか?

モトケンさんは、私が「警察官らが歯軋りをさせる音を現に聞いた」という意味で先のコメントをしたとお考えなのでしょうか?

もちろん、そうではありませんよね。


だとすれば、

あなたはどうしてそのように皮肉、侮辱的当て擦り的な表現を使うのですか?  そのような言い方をしないと議論ができないのですか?

このような事を他人に言う前に、先ず、御自分の姿勢を顧みては如何ですか?

横レスすみません。
とりあえず、モトケンさんのNO.129の質問に一通りお答えになってはいかがですか? 互いにQ&Aの形になっていなくて議論がとっちらかってしまっている印象があります。
素人の私は横から見ているだけですが、パブ弁!さんのご主張がどの程度の実体験に根ざしているのか、そしてご自分のお説をどのくらい実践しておられるのか、私も知りたいと思います。そして、司法取引についての考え方も。

当てこすり云々については・・・どっちが先とかいう以前に、ご自分がそういう言辞を用いないようにすれば、相手の無作法が自ずから際立って恥をかくようになります。

ハスカップさんありがとうございます。

>主観的構成要件要素は、米国連邦法に限り、不存在挙証責任は被告人弁護人に全部転換されます。

そうだとすると,まったく同じ制度が導入さると被告人,弁護人の負担が増加しそうですね。

日本では,検察官がいかに被告人の供述を除いて構成要件要素(客観面,主観面ともに)を立証するか腐心しているわけですが,主観面について同じことを被告人,弁護人が負担することになると大変でしょうねぇ・・・

犯罪の構成要件そのものとしてではなく、「覚せい剤であることの認識」や「故意に摂取したこと」を推認させる事情として重要ではないか(それらの事情が全く立証されていないのに、覚せい剤自己使用の故意が安易に肯定されていないか)という趣旨です。

No.117でモトケンさんがおっしゃっているとおり,①尿中から覚せい剤の成分が検出されれば,自ら薬物を接種した推認されるという経験則があり,No.93でキメイラさんがおっしゃっているとおり,②精神に作用する薬物であるという認識があれば法定的符合説から故意が認められると思います。

①が経験則として認められないというのが「市民感覚」だとは思えません。
誰かに飲食物に入れられたという主張を排斥している裁判例の理由を読んで納得できないということであれば,私とパブ弁さんの経験則は異なるのでしょうね。

モトケンさん

めそさんの質問は、 パブ弁!さんのNo.8 のコメントの「※」以下に関する質問のようですね。
例えば覚せい剤使用に問われる事案では、「〇月上旬から下旬ころ、東京都内又はその周辺において、何らかの方法により覚せい剤を体内に摂取した」という、おそろしく広汎な起訴状が許容されており、およそ反論(その日はどこで何をしていたから犯人ではない、等)のしようがありません。

もちろん,訴因の特定と被告人の防御というのは密接にかかわる問題であることは理解しているつもりですが,私の質問の趣旨は,訴因の特定の問題というより,「覚せい剤の自己使用について,アリバイの主張に意味があるのか?」ということにあります。

殺人罪で犯人性を否認しているのであればアリバイの主張に意味がありますが,覚せい剤の自己使用において,札幌にいるか那覇にいるかなどということはおよそ意味のないことではないかと思ったからです。

勾留中だったからおよそ使用することは不可能であったというような主張なら意味があるでしょうが,身体拘束されていない限り,ちょっとトイレに行って注射すれば成立する犯罪についてアリバイの主張など無意味なのではないかなと。

少なくとも、令状審査において、被疑事実自体が虚構かも知れないとか、疎明試料が捏造かも知れないとか、調書の任意性に問題があるかも知れないなどといった謙虚な姿勢、注意深さを感じたことはありませんね。

一般論として,捜査機関が行使する公権力は,人権に対する強い制約を伴うものであるから監視が必要であるということなら同意できます。

しかし,警察は疎明資料を捏造するのが通常だとか,検察官は勾留請求の際に疎明資料を捏造しているとか,裁判官は令状審査の際におよそ資料のチェックをしていないという主張であれば全く同意しかねます。

パブ弁さんの同期にも検事や判事になった方はいらっしゃると思いますが,それらの方々もパブ弁さんが主張されるようないい加減な仕事をするおそれが多分にある方々ばかりだったのでしょうか?

そうだとすると,ずいぶんお寒い期ですね。
私もその期の方々には気をつけたいと思いますので,できれば何期なのか教えてください。

普段ROMばかりなのですが、保釈請求の際の裁判官面談における弁護人の言動というのは倫理研修の題材にしたことがありまして、関心がありますので整理のために一言。

場合分けというのは、もう少し厳密にすると、以下のようになるかと思います。
1 面談時に公判での予定は何も言わない→公判で争う
2 面談時に公判では争わない旨を言明する→公判で争う
 (1) 最初から争う予定だった。
 (2) 予定が変わった。

一方、パブ弁さんは、「場合分け」として、以下の2つを提示されています。

>保釈後の事情の変化により公訴事実を争うことがあります

>「将来公訴事実を争うことを予定した上で、保釈申立ての段階ではそれを伏せておく」場合

前者は私の場合分けでいくと上記2(2)と思いますが、後者の「伏せておく」というのが、何も言わない(上記1)か、争わないと言明する(上記2(1))のかによって、かなり評価が変わってくるのかと思います。パブ弁さんの提示された場合がどちらか、はっきりはわからないのですが、恐らく争わないと言明する場合の方でしょうか。

パブ弁さんもおっしゃるとおり弁護人には別に公判での予定を保釈の際に言う義務は全くないわけですが、予定を言うからには、虚偽の予定を言っていいということにはならないです。裁判官の「逆ギレ」というのでなく、実際に騙しているのですから。
人質司法の弊害を強調して、嘘をついてでも身柄の解放を、という考えをとる人もいるかもしれませんが、そのような弁護人の言は裁判所から全く信頼されなくなるでしょう。実際問題として、「本当に絶対公判で争わないから保釈してほしい」という被告人を担当したときに、その被告人に迷惑をかけてしまいますね。
理念的な問題は別として、裁判所からその言を信頼されない弁護士に弁護される被告人は不幸だと思います。

なお、上記2(2)の「予定が変わった」についても、最初から争うつもりだった場合(上記2(1))ほどではないにしても、弁護士の責任としてそれでいいのかという問題にはなるかと思います。

>いかなる意味でも批判の対象になりません
とは言えないでしょう。

以上は、被告人が捜査段階で自白調書を取られていることと、弁護人が裁判官に公判では争わない旨を表明することとは同視はできない、というのが前提での整理です。

 アレイメント制度も、司法取引や陪審制度と同様に、連邦法と各州法それに州法レベルでは州ごとに微妙ないし大きな相違がありますので、先に述べたのは、ザックリ見た平均的レベルとご理解ください。m(_ _)m 私も連邦憲法刑訴法と50州憲法刑訴法を全部比較したわけではありませんし(^^ゞポリポリ

>人質司法の原因の一つが裁判官による逆恨みにあるとすれば、問題はいっそう深刻、かつ低レベルですね。

 あなたの想像する仮説でなくて(かつ「低レベル」という罵倒なしで)、実例に基づいた守秘義務に反しない具体例で論旨を展開されてはいかがですか。

 次のは、愛知弁護士会が名古屋弁護士会だった当時のさる時、弁護士倫理の研修に訟務担当オブザーバとして参加したときの仮設例題です。

>公職選挙法違反(捜査段階3人以上が自白で2人が全面否認)の弁護で、公判途上で否認の2人が認否と証拠意見を「認める・全部同意」に変更し、裁判所も検察官の反対を押し切って保釈を認めたら、次回公判で当該2人が再度否認に戻った。
>被告人質問で、この2人は、「認めて証拠に全部同意しないと保釈は無理だと弁護人に言われた。だから一時意見を変えただけだ。同意した書証もデタラメな内容だとわかっていながら同意した。」等と弁護人との接見内容を自ら明らかにして2度の認否変更理由を開陳した。
>弁護人は、被告人の「私は、本当は現金買収をしていたから、事実は認めるし、証拠も間違ないので全部同意する。」との接見時の言動を用いて、被告人に有利なように被告人質問すうことが許されるか? 人質司法を踏まえて論ぜよ。

>「裁判官の大多数」と、「良識ある市民」の意識に大きな違いがあるのがそもそもの問題なのでは?

 保釈許可基準のあるべき基準を主として「裁判官」の専門家的判断に求めるか素人的「良識ある市民」感覚に求めるかについては議論の余地があるとは思いますが、令状実務は、「裁判官」が行っているのですから、裁判官の意識を変えることが最も重要だと私は言っているわけです。
 マスコミの影響を受けやすく実態が必ずしも明らかでない素人的「良識ある市民」を持ち出さなくても、弁護士的プロ感覚によって裁判官の感覚を変えていく必要があるのではないでしょうか。
 「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の有無というのは優れて専門的な問題だと思っています。


>モトケンさんにとっての「人質司法」とは、「裁量の範囲内の判断であり違法ではないが、もう少し好意的配慮があってもよかった」という程度のものも含むのですか? 

 好意とか悪意とかという問題ではないでしょう。
 そんな感情的判断を問題にしているのではありません。
 人質司法というのは、弁護士から見て裁判官の令状判断が身柄拘束の許可や継続の方向に偏っていることによって、それが虚偽自白圧力や正当な防御手段の不行使圧力として働いているという総称的な概念ですよね。

 その重要な一場面である保釈請求においては、人質司法がどうのこうのという総論的な一般論ではなくて、保釈許可要件に関する刑事訴訟法第89条各号の要件の存否の認定が具体的には問題になります。
 この場面においては多くの場合、同条4号の「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の存否が争点になり、そこでの最も大きな問題は、裁判官が罪証隠滅の疑いが極めて抽象的な場合でも「相当な理由」があると認定することにあります。

 この状況を改善するためには、裁判官に対して、抽象的な恐れでは相当な理由があるとは言えないという方向に考え方を変えさせることと(これは一般的基準の問題)、現に保釈請求している事案においては具体的な罪証隠滅の恐れはないということを裁判官に認めさせること(ここは個々の事件における事実認定の問題)が必要だと私は主張しているわけです。


>場合分けが必要ですね。

 これ以下については、No.156 hon(弁)さんのコメントを引用させていただきます。

 パブ弁!さんは自分の表現を改める意思がないのですか?
 私はあなたの表現を投げ返しただけですよ。
 そんな印象操作的表現ばかりしてちゃだめでしょ、という気持ちを込めてね。

 あなたは、

ちなみに、私の認識では、映画「それでも僕はやってない」を殊更に貶め、同時に、その大ヒットを歯軋りしているのは、裁判官と警察官、検察官です。

 あなたの認識が具体的な根拠に基づくものであるならば、「貶め」とか「歯軋り」とかいうそれこそ貶めるような表現を使う前に、裁判官と警察官、検察官がどのように「貶め」、どのように「歯軋り」しているのかを具体的に述べるべきです。
 そうでないと、裁判官と警察官、検察官が映画のどの部分についてどのように批判しているのかわからないではないですか。
 そして、あなたの認識が正しいのか歪んでいるのかも判断できません。
 つまり、あなたは自分に対する具体的は批判を回避しつつ、裁判官と警察官、検察官を批判していることになります。

言葉の字面も重要ですが、ある程度大きな流れの観点からもご考慮いただきたいと思います。

日弁連の刑事訴訟法40周年宣言によれば、昭和45年に3.74%であった勾留却下率が、昭和62年には0.31パーセントまで低下したという事実が取り上げられています。
http://jfba-www1.nichibenren.jp/ja/opinion/hr_res/1989_3.html

その結果として、fuka_fukaさんや私その他この場の大勢の弁護士が共有している「令状審査が緩やかになりすぎている」という認識が形成されています。
そしてまた、上記の異常とも思われる却下率の低下をもって「形骸化」とする評価が日弁連の宣言中の文言にすら取り入れられているのです。

このような大きな流れから見れば、令状審査が「形骸化」しているという評価をしても不当ではないし、「裁判所が捜査機関の疎明につきレベルの高い仕事を求めなくなっている」「その結果捜査機関の仕事が楽になっている」と言っても、これを不当と言うことはできません。
(私は、裁判官個人や捜査官個人の資質が低いは全く思いませんが、運用に問題があることもまた事実です)

ただし、最近の裁判所では、裁判員制度を睨んで罪証隠滅のおそれに関する従前の考え方を改めようというような動きが見られるそうであり(下記リンク先の下の方の部総括判事さんの発言)、現に、勾留却下率は1パーセントくらいまで回復してきています(司法統計)。
http://www.j-j-n.com/opinion/s_reikai2007/reikai_070801_6.html


従いまして、従前の形骸化が進んでいた運用については強く批判されるべきであり、現状もまだまだ問題はありますが、形骸化の程度が弱まりつつあるとは言えるでしょうね。
従って、パブ弁!さんの「旧態依然」という評価には、全面的には同意しません。

 よろしければ、最近5年間の平成15年以降の身柄送致(送検)人員数と勾留請求人員数を比較されてはいかがでしょうか。司法統計か法務統計で見た記憶があります(出先で統計書名とページ数の詳細がわからず引用できないので申し訳ない)。それによれば、「最近」の勾留請求却下率の低下は、勾留請求率の低下(典型例は特別法や条例違反(おそらく痴漢)の請求率の低下)が原因であり、逮捕状請求の撤回の増加による逮捕状却下率の低下と一脈通じるところがあると思います。
 ご参考まで。m(_ _)m

大野病院事件は、大々的に報道もされ、このブログでも議論が尽くされており、弁護士の皆さんがほぼ全員勾留を不当視してあることから、好例として挙げています。

そもそも、事件から1年以上の時間が経過して、事故調査委員会の調査が完了して行政処分が下り、捜査機関も考えられる捜査は全て完了したという段階で、どうやって証拠を隠滅するというのか理解できません。

なお、「当該事件の疎明資料なり証拠資料なりを現実に精査した者でなければ事件のことをああだこうだと論じることはできない」ということを仰りたいのであれば、このブログにおける大野病院事件の議論は全部無駄だったことになってしまいます。


>72時間以内

「以内」ですから、時間をある程度ずらすことはできますね?
結果として、特定の日の勾留請求が(ゼロにはならないまでも)不自然に少なくなったりするかも知れませんね。

>真偽不明の与太話

「真偽不明の話」でも意味は通りますよね?
「与太話」は、所謂「余計な一言」ですよね。
「余計な一言」を混入させないように、ご注意ください。

もちろん、私も当該元裁判官も実名を挙げられないので真偽は不明と言わざるを得ません。
全ての匿名投稿には同様の問題があります。
ちなみに、私は感熱紙さんの投稿内容を拝見して、虚偽の投稿をするような人物ではないだろうと思っております。

報道などでも出ているようですが、ここ最近の勾留請求の却下率は、若干「増大」しつつあるみたいです。

これは、捜査の質が悪くなって却下が増えたと言うことではないと思いますので、裁判所の運用が良い方向に動き出したのかも知れませんね。

これに加えて、令状審査に対する国民的な関心も高まっていけば、10年後くらいには「形骸化」などと言えないような立派な運用が実現するかも知れません。

 ここ3年はご指摘のとおりで、検察庁の抑制をうわまって裁判所の厳格化の傾向が出てきたと愚行します。喜ばしいことだと思います。同様に保釈請求認容率もあがってきています。

当初の「パブ弁!さんの意見に概ね同意」というコメントから、「同意でない部分」についてある程度明確にしていただけたと思います。お手数をお掛けしました。

なお異論を差し挟みたい部分もないではないですが、枝葉末節に立ち入るのみになってしまいそうですので、控えます。

元裁判官の伝聞の点のみ、横から失礼します。

KTさんは、「勾留状」ではなく「令状」一般についてのコメントとして紹介されています。

当該元裁判官氏の令状当番日には、逮捕状や捜索差押許可状など、「請求日をコントロール可能な令状」の請求について、他の裁判官の当番よりも有意に請求数が少かった、という趣旨かと理解したのですが。

そのような事態はあり得ないことではないのでは、という印象を持ちましたが、いかがでしょうか。

 ところで、小倉秀夫弁護士が、人質司法に関連して、ご自身のブログのエントリで、

 で,日本の裁判実務では,多くの場合,保釈のために面接に訪れた弁護人に対し,公判では起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしないという運用が行われます。

と述べられています。

 しかし、私の経験に基づく限り、そのような運用がなされているとは思えません。
 事案によっては弁護人のほうから、公判における弁護方針の予定(あくまで予定)を説明する場合はあるかと思いますが、裁判官から「起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしない」という「運用」はあるのかという疑問です。

 但し、私の保釈面談の経験はせいぜい数十件にとどまりますし、地域的な偏りもありますから私の経験が全てということはできません。
 そこで、このエントリをご覧の弁護士の皆さんの意見をお聞かせ願えれば幸いです。
 実名を明らかにする必要まではないと思いますが、小倉弁護士は匿名投稿者のコメントの信用性を認めないという考え方をお持ちのようなので、私から見て弁護士であることが推認できる程度の情報を示していただけると助かります。大抵の場合は、書きっぷりでわかりますので、特別な情報を書いてほしいというわけではありません。知識と経験の片鱗でもにじみ出ていればけっこうです(^^)

 私の認識が正しいという自信が持てましたら、市民の皆さんの誤解を防ぐ意味で、別エントリとしてきちんと説明したいと思います。

 小倉弁護士先生は馬鹿馬鹿しいから10年近く刑事弁護をやってないと先行自白されていたような(ボソッ

 申し訳ありませんが、素人の意見を少し聞いて下さい。こちらのブログは法律の専門家のご意見を目の当たりにできることで、私としては大変勉強させて頂いている外科医です。現在医師の評価は地に落ちていると思います。この数年は一部の弁護士の先生方がTV等へ出られることにより、弁護士の先生が身近に感じるようになってきましたが、行き過ぎると我々医師のようなことになりかねないと思います。 
 ただ、今回の1芸能人の不祥事から膨らんだ話にしてはいかがでしょうか?1)おまえは本当に弁護士か?2)どこの所属か?3)自分の尻が拭けないような論理 など、インテリにしても、酒場で酔っ払い同士の口論と違わないように感じます。さらに、別のスレを立てても、良い、大人な結論に向かうとは思えません。
 素人が読んでいて、何人か弁護士の先生が、昼夜問わず書き込んでいる時間があるのだと呆れている閲覧者もいることを頭の片隅において頂けるとうれしいです。
 今後とも宜しくお願いします。

現在医師の評価は地に落ちていると思います

医師の方々はよくそのようなことを仰るのですが、日本のさまざまな職業の中でもトップレベルに評価されているのが医師だと思います。

>昼夜問わず書き込んでいる時間があるのだと呆れている閲覧者もいる

 弁護士先生方の職務の合間における100%ボランティア活動にそういう言い方は、いくら偉い外科医でも、それはないでしょう。モラールをくじくには最適の言葉ですけど。
 私の知っている弁護士先生の事務所でも、パソコン使って準備書面などの起案に追われる傍ら、マルチタスクでRSSなどを用いて法曹ポータルサイトや有益な法曹サイトを閲覧して、判例(判決)情報をリアルタイムで収集したり、投稿で情報提供や気分転換する先生もまれではないですよ。
 専任教官の大学教授担当の弁護士先生なら、パソ通時代から、学問研究活動のために始終BBSやブログにエントリをアップする方もまれではありません(I元教授、S教授、O教授etc.)。
 呆れるのはあなたの自由ですが、背景事情も実務現場も知らないで予断でそうおっしゃるのは、ろくに診察も検査もしないで投薬治療や外科手術するようなものです。ご再考ください。

ハスカップ さま。

事情をお話すれば、ご理解いただけると存じます。 連日の激務でかなりお疲れと存じ上げますが、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 こちらこそよろしくお願いします。新型ウイルス騒動で献身的に活動されいる医療関係者や研究者の方々には本当に頭が下がります。m(_ _)m

 私は刑事事件当事者である「罪人」としての立場から意見させていただきます。

 草薙くんの事件や、覚醒剤などの軽犯罪を犯してしまう人間は、まず罪の意識が低いと感じます。(あたりまえですか?)それから警察の力を、だいぶあなどっているようにも感じます。

 これは、一般的な感覚を基準にして、法律を学び職の専門とする法曹の方の意識が高くなることと対局的で、法律を軽視するような環境に同調してくことで、規範の壁が低下していったものと思います。

 一般的な感覚を基準にして法曹の方と比較したのは、権力に対する意識の差をも感じるからです。一般人よりも権力構造に対し熟知している方々が、権力行使についてあつく語られているのとは対局的に、軽犯罪者はずいぶんと冷めているというか、そもそも国家権力をそれほどのパワーとも認識していません。それは警察力軽視に通じる一因だと思います。国家権力にくみしたいと必死に公務員試験の勉強をする学生と、対照的な意識だと言えれば分かりやすいでしょうか。

 そのような意識で犯罪に手を染めているわけですが、いざそれが発覚して被疑者となり、早い段階で弁護士からの十分な援護を受けられるとなると、捜査機関には少し不利な気もします。そればかりではなく、犯罪者の法規軽視、権力軽視の意識を是正する機会を一つ失うのではないかとも思います。

 捜査機関による不透明な捜査も、人権侵害も言われてみればおかしいな?とは思います。ただ軽犯罪者は捕まったことを「不運」と感じ、必死に言い逃れをしようとするのですから、警察の方などの苦労はいかほどかと、そちらの方を案じてしまいます。草薙くんが真摯に謝罪をするのは、立場があってのことですよね。軽犯罪者は、釈放後あまり悪びれません。

 冤罪の場合は私の言うケースは全く当てはまりません。
しかし冤罪を防ぐために今以上に軽犯罪が成立し難くなるのは考えものだと思います。意識の低下は重大な犯罪に結びつきかねないと思います。

 映画「それでもぼくはやってない」を見ましたが、あれは冤罪でしょうか。私は電車のなかであのような場面に身を置いてしまったことに被告人の非を感じます。「危うきには近寄らず」を徹底しなければ、今の社会、特に都市部では無難に生きてはいけません。とても息苦しく感じますが。

 長々と書いてしまいましたが、私見の要旨は「軽犯罪者の意識の低下をなんとかしないとダメなんじゃないか?」(映画の主人公も含む)というところです。それを論じなければ、捜査機関の体質改善もなかなか進まないはずです。裁判所の態度も変えられないでしょう。それでは冤罪防止もままならないと考えます。

以上ですが、モトケン先生おじゃまいたしました。


 
 

>ただ軽犯罪者は捕まったことを「不運」と感じ、必死に言い逃れをしようとする

 米国では、軽罪どころか連続殺人犯(20~108人!)という重罪犯でも、逮捕されると「ちぇっ、運が悪かった。」と公設弁護人(法律扶助会派遣弁護士)に言うそうです。日本がそうなって欲しくないとの思いは同じです。
 ただ、被疑者被告人の人権保障を全うしつつ刑事手続きの中で、ご指摘のような教育的効果を狙うのは相当な困難を伴うやに愚考します。刑事手続きを経た矯正段階ですら「少年院で改善更生しても地域社会に戻ると元に戻ってしまう」という少年院幹部の嘆きが耳に残っています。
 ほんとは、家庭教育や地域教育で改善されるのが一番なんですが、犯罪者や非行少年の過半は、「この親にしてこの子あり」「地域社会環境の産物」という恵まれない環境で育った方が多く、痛烈な批判を覚悟で申し上げると、犯罪者には、多分に同情の余地が多過ぎる恵まれない成育歴(主として家庭教育と貧困)の方が多いという印象及び統計数値を目にします。
 家庭教育の復権!国親思想の貫徹!なんてスローガンを唱えたら、お笑いかと思いますが、最近はそう思うことが多くなりました。_| ̄|〇

>KT先生
ご返信ありがとうございます。
まず大野事件の勾留に関する部分からですが、私もこの件に関する警察や検察の一連の捜査については、不適切である可能性を否定していません。
しかしながら、「外形上明らかに、逃走・証拠隠滅の虞が認められず、捜査も進んでいて身柄拘束の必要性も疑わしく、逮捕勾留すれば強い非難を受けることが容易に予想できる」事案であるにも関わらず、捜査機関が身柄拘束に踏み切り、裁判所がその許可を与えたのは、同業者から見てもかなりの特殊な事案です。
少なくとも、逮捕状請求(と勾留請求)の理由がある程度判明していなければ、「個別の事案として不適切である可能性」を論じることはできても、これを「典型例」として挙げ、同じ弁護士の方に

今後、全く同様のケースで勾留請求が出た場合に、裁判所がどのような対応をすると思われますか?
実務的な感覚として、あっさり勾留を認めてしまうのだろうということが予測されませんか?
と質問されることについては、適切さを欠くのではないのか、と疑問を呈させていただきました。

また

>72時間以内
「以内」ですから、時間をある程度ずらすことはできますね?
結果として、特定の日の勾留請求が(ゼロにはならないまでも)不自然に少なくなったりするかも知れませんね。
とのことですが、勾留請求は、警察からの送致後24時間以内です。
先生は本当に、送致後24時間以内(基本的には、緊急の場合を除き、請求は執務時間内に行うのが普通ですから、条件はより短くなります)に「特定の日の勾留請求が(ゼロにはならないまでも)不自然に少なくなったりするかも知れません」とお思いなのでしょうか?
fuka_fuka先生が言われるような「請求日をコントロール可能な令状」の請求であれば、「警察でも似たような話は聞くことがあるし、検察でもまああり得ないこともないな」(それでも検察官による令状請求の件数を考えれば有意な変化が認められるかは疑問が残りますが)と考えますが、上記の通り勾留請求についてはまずあり得るとは思えません。
御自身でも言われているように、真偽不明の話である上に、制度に詳しくない一般の方が読まれた場合誤解を与えるような内容を、専門家の方がコメントすることについては批判を浴びても仕方がないことではないかと思います。
ただ、「与太話」というのは確かに適切さを欠く表現ではありますので、気分を害されたのであれば、謝罪の上撤回させていただきます。

「軽犯罪者の意識の低下をなんとかしないとダメなんじゃないか?」(映画の主人公も含む)というところです。
軽犯罪者であっても、犯罪を犯している人と 冤罪の当事者、つまり、罪を犯していない人と同視している、ということから つみ人の友さんの考えは、 「捕まるか捕まらないか」が問題であって、 「犯罪を犯したか否か」ということは問題ではない という基本的発想に立っていると思います。

自分が捕まることはない、捕まったとしてもそれは運が悪いせいだ、
という意識を改めさせるべきで、
そのためには犯罪と間違われそうな挙動をしてしまった人が有罪とされても仕方がない、ということですよね。
これはとても現実的な発想だと思います。

しかし、法律はあくまでも「犯罪を犯したか否か」を基本とします。
「犯罪を犯す」と「捕まる、有罪となる」をなるべく一致させ、
「犯罪を犯していない」と「捕まらない、有罪とされない」をなるべく一致させる
というのが法に与えられた役目です。
そして、これらはなかなか一致しないので、優先度があります。
「犯罪を犯していない」と「捕まらない、有罪とされない」を一致させるのが最優先、というのが法律のルールで、
「犯罪を犯す」と「捕まる、有罪となる」の一致は、その次です。

つみ人の友さんの考えは
この優先順位を逆にさせているように見受けられるので、
法律の範囲で捜査活動が行われる限り、そのようにはいかないと思います。

 多分にスローガンな面がありますが、「9人の真犯人を逃しても1人の無辜の民を救え」、とおっしゃった刑事法の日本人学者先生がいらっしゃいました。これが英国法諺となると「たとえ99人の真犯人を無罪放免にしても1人の冤罪者を無罪にしろ」となります。これは「疑わしきは被告人の利益」の説明でよく引用されます。
 ただ、英国(というか大英帝国でスコットランドを除く)刑事訴訟法令が前提で、盗聴やオトリ捜査が普通に行われる(盗聴の令状発付要件が相当緩い)実態をあてはめないと誤解を招くかと思います。

実際のところ、担当している具体的事件の話などはなかなか書けない上に真実性も保障できないため、著名事件を引き合いに出さざるを得ないのはご了解下さい。


元裁判官の方から聞いた話については、確かに令状一般についてのお話だったので、fuka_fukaさんからフォロー頂いたように、主に逮捕や捜索差押えの方でそういう回避行動があったという趣旨だったのかも知れません。
今度機会があったら確認してみます。

fuka_fuka先生が言われるような「請求日をコントロール可能な令状」の請求であれば、「警察でも似たような話は聞くことがある

そこの所は詳しくお話を伺いたいところです。

>ハスカップ先生

「犯罪者には、多分に同情の余地が多過ぎる恵まれない成育歴(主として家庭教育と貧困)の方が多いという印象及び統計数値を目にします。」


 上の意見に同意いたします。私自身そのような育ちですし、同じような環境で育った私の友人たちを見ていて、貴殿のおっしゃるような印象を受けるからです。

 私の考えは政策寄りにすぎて、トピックずれしてしまっているようで申し訳ありません。

 教育的効果。私はそれが言いたかった様に思います。ここにいらっしゃる方々ほどとはいかないまでも、法律を制定する上で想定された「一般人」程度の意識が、平等に行き渡らないものかと思います。安易に犯罪を犯してしまう前に、少し考えるくらいの力はもっているはずです。犯してからでは遅いのですが、その後意識を高める者もいるかと存じます。

 犯罪者の質が変われば、捜査機関の質も変わるのではないかと考えました。
  

>白方吟K氏先生

 申し訳ございません。表現を訂正させてください。
冤罪の方と罪人を同列に扱っているわけではありません。
満員電車に乗車する人の「意識」も含めて変わる必要があるとの思いです。満員電車に乗車する人は、特に注意を払う必要があり、現在はそれを常識として要求されているように思います。途中端折ってしまって誤解を招いているでしょうか?

 それから私の意見は、法律の範囲内で捜査が行われていないことを前提とします。範囲外というか、グレーなのでしょうか。というのも私はまず、パブ弁先生のエントリーを読み感銘を受けたものの、弁護する側とされる側の意識の隔たりを感じてしまいました。そこに端を発し自説を組み立てていったものです。

 草薙くんにしても、飲み過ぎない。
 映画の主人公も、痴漢に間違えられないよう配慮する。
 ドラッグを盛られる様なパーティーには行かない。
 一生懸命司法の勉強をするのなら、特捜部の捜査を受ける前 にする 

 犯罪者はそのぐらいの意識は最低限もって、それでも不当な捜査、裁判により人権を侵害されるようなことがあって、初めてパブ弁先生のような弁護士が活躍するのではないかと、まず最初に思いました。

捜査が不透明なことにも、訳があろうと思いました。
それを法律に則って開示できるよう仕向けても、冤罪は減るかもしれませんが、犯罪は増えます。犯罪が増えれば結局誰かの人権は侵害される。犯罪者目線から、根本的解決を考えたものです。
 


 

 

 

 私は、弁護士ではなく、法学部卒で2度も命をお医者様に救われた一介の公務員です。「先生」の敬称に値しませんし、第一お尻がこそばゆいので(^^ゞポリポリ、「さん」か「君」付けでお願いします。m(_ _)m

ワタシも弁護士じゃないので、「さん」キボンヌ。

それから私の意見は、法律の範囲内で捜査が行われていないことを前提とします。範囲外というか、グレーなのでしょうか。

んー、
つみ人の友さんがパブ弁先生のコメントをどう解釈したのかよくわかりませんけど、
パブ弁先生がみんなから反論食らってるのは、
弁護する側とされる側の意識の隔たりが大きすぎることが主な理由です。
立派すぎて現実に使えないってことですね。
別にパブ弁先生の活躍の場を広げるために犯罪者の意識を全部変える必要はないと思いますよ。

ま、違法か適法かはおいといて、
とりあえず、現実の捜査を前提とする、ってことにしましょう。


つみ人の友さんが意識を変えるべきっていうのは、わかります。
多分それは刑事政策で言う、一般予防効果(一般の人が犯罪をしないでおこうと思う動機付け)に近いものだと思います。

ただ、ワタシが気にしているのは、つみ人の友さんのいう意識のなかには、
犯罪をしない、ということだけでなく、
犯罪の香りがする場所に近寄らないということや、
冤罪を負わされる危険がある行為をしない
ということも含まれていることです。

現実生活ではそういう考えの方が良いです。面倒事には巻き込まれない方がよいですから。
もしかしてそれが「常識」かもしれません。
でも、法律は「国の機関が人の内心の考えに干渉する」ということにはものすごく消極的です。

そもそも法律で言われたから、もしくは警官に殴られたからといって、
おいそれと人の心は変わりません(隠れてやろうとは思うでしょうが)。
歴史的にも、公権力がある一定の考えを国民に押しつけると、ろくな結果にならない様です。
法律でできるのは、「犯罪をしない」という、どっから見ても正当なものに限られると思います。

それ以外の「犯罪の薫り高い場所によりつくな」とかは、
国の強制力をもってやることではなく、社会の意識の高まりとか常識、とかで
浸透させているのが適当な方法だと
私は思うわけです。

 一般社会と同様で、医師免許があっても実際に働いていない場合、いわゆる実際の”医師”ではありません。あなたは法学部卒業とのことですが...。
 外野から外野のことを書き込まれているのですね。

 我々毎日20時間を越えて病院にいることもあり、コンビニのように夜間足らない定期処方薬を取りに来られる患者さんに笑顔で応対しているような、過酷な勤務のときには、長い論理的な文章を書き込む身体能力は残っていません。他の業種でインターネットをする時間も無く、働いておられる方もいるでしょう。

>診察も検査もしないで投薬治療や外科手術するようなものです.
 外科医に対しては本当に屈辱的なコメントですね。人にメスを入れることに対してどれほど責任、抵抗があるかご存知ないのですね。自分が人を傷つけるんですよ。

>新型ウイルス騒動で献身的に活動されいる
 自分の受け持っている患者さんが第1です。マスコミにおどらされてませんか?

 命を預かる緊急手術に対する報酬が時給千円だったりするのもご存知ないでしょ。

 偉いとか、地位が高いとか言われたとしても、扱いは過酷な労働者です。

 部外者がコメントすることは大変恐ろしいですね。

 部外者が荒らして申し訳ありません。

 

外科医先生御机下

はじめまして。
あなたと同じような立場で働いている産科勤務医です。
ハスカップさんのことを大きく誤解されているようです。
インターネットをする時間もなく働いているのは解りますが、お願いですからお時間の空いた時に過去のハスカップさんのコメントを読んでください。

 見かねての横レスです。


>何人か弁護士の先生が、昼夜問わず書き込んでいる時間があるのだと呆れている

 こんな誹謗で,弁護士の常連様それも複数に対して「本当に屈辱的なコメント」で罵倒して「先に」突然乱入してきたのはあなたじゃありませんか? それをハスカップ氏がみかねて,あなたのやったことは「診察も検査もしないで投薬治療や外科手術するようなもの」と具体例を挙げて意見しただけでしょ。
 自分のことを棚に上げて投稿するのは(以下略。
>命を預かる緊急手術に対する報酬が時給千円だったりするのもご存知ないでしょ。
 ちなみにハスカップ氏は,新型ウイルスから国民の命と健康を防護するため役所に泊り込んでいるようですが,公務員法の指定職だから,何時間残業しようが徹夜しようが,残業手当は0¥(タダ働き)で,宿直夜勤扱いもされないから宿直手当一晩1500¥も出ないんですよ。ご存じでしたか?

 人の意見をろくに読まないで,自分の意見を一方的に放言するから,ハスカップ氏が事務方として新型ウイルス医療対準備で徹夜の連続していることも知らないのでしょう。次のあなたの言葉は,あなたの理屈だと,国民を新型ウイルスから守る対策に奔走する医療関係者への最大の侮辱じゃあないのですか?

>>新型ウイルス騒動で献身的に活動されいる
> 自分の受け持っている患者さんが第1です。マスコミにおどらされてませんか?

「別にパブ弁先生の活躍の場を広げるために犯罪者の意識を全部変える必要はないと思いますよ。」


どうやら議論があらぬ方向へ誘導されてしまいそうなので、ここらでやめさせて頂きます。

白方吟K氏さん。胸を貸してくださってありがとうございました。

外科医先生、日々の激務お疲れ様です。

>外科医に対しては本当に屈辱的なコメントですね。

№170において、先生が

>素人が読んでいて、何人か弁護士の先生が、昼夜問わず書き込んでいる時間があるのだと呆れている閲覧者もいることを頭の片隅において頂けるとうれしいです。

とコメントされたことが発端ではないでしょうか。

まず、弁護士は、サラリーマンというよりは、自営業者とか、共同経営者の立場の方々が多い職種です。

何時に休憩を取るのか、何時から何時まで働くのかということは突き詰めれば経営の成否に関わりますので、経営者たるもの経営計画と業務の状況に合わせてマネージメントしなければなりません。ですから休憩したことによって何か不都合があれば、全て経営者たる自己の責任になります。

そうした経営者の特殊性ということも念頭に置いていただたうえで、改めてお聞きしますが、先生はここに参加されている弁護士の方々のお仕事振りをどれだけ知っておられるのでしょうか。暇で遊んでいるのだろうと空想されているだけではありませんか?

私も先生と同じく法律の素人ですが、ここで法律の勉強をさせていただいておりますので、一文にもならない、私をはじめとするここのコメントへの返答の為に、プライベートの貴重な時間を割いて、資料や書物を調べ、丁寧に回答いただいている弁護士の方々に感謝しこそすれ、呆れたことなどありません。(時折、こんな深夜に激論されて翌日体は大丈夫かいなと心配はしますが)

もちろん、そうした真剣なやり取りだけでなく、時にはバカ話や非難合戦になることもありますが、ここは弁護士会のHPではなく個人ブログですので、少々の脱線は許容されると思います。ブログ主も寛容な方ですし(^^;

実を言うと、私も毎月2~300時間の残業をこなしていた頃には、我が家に着替えに帰る折に乗った始発電車で、未だ半分酔っ払って騒いでいるサラリーマンやOLを見て「こいつらよくそんな遊ぶ時間があるなあ」と呆れていましたけど(^^;
でも、よくよく考えると、私は普段彼らがどれだけ悩み頑張っているのか全く知らないんですよね。

何がいいたいかというと、先生ご自身はそれほど悪意はなくても、受け取り様によっては弁護士の方々を嘲弄してるようにも取れますので、どうしてもそういう内容を書き込まれる場合は十分慎重に考えてくださいねということですm(_ _)m

>裁判官から「起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしない」という「運用」はあるのかという疑問です。

私の(乏しい経験の)場合、争わない予定の事件は自分から「争いませんから」と裁判官に言ってしまいます。制度のあり方としてどうかというのは別にして、それを言うことで自分の被告人の保釈の可能性が上がるかもしれないならと、裁判官に問われるまでもなく。将来争うかもしれない気配もない事件ですが。
一方、争う予定の事件で保釈を請求した記憶が今ありません(もしかしたらあったかもしれませんが)。争う事件自体の数が少ないのですが、そのような事件でも、保釈保証金を用意できない人ばかりだったかもしれません。

そんなわけで、記憶の限りでは、裁判官から公判での認否予定を聞かれたことはないという回答になります。


ちなみに、このあたりの話については、落合弁護士のブログのこの記事とその後のコメントを興味深く見ておりました。私は、聞かれもしないのに言う弁護人、に分類されるようですが。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060228#1141053416

いえいえ、
ワタシは、そちらの話の趣旨をとらえきれていなかったようで、
お役に立てなくてすみません。

 私は最初のコメントの時点で失礼を申し上げていると思っていました。弁護士の先生に対する失礼ですから、弁護士の先生であれば、当然、罵倒であろうが甘んじて受ける覚悟があります。
 ただ、常連さんから、弁護士の先生方のことをさも知ってように中傷され、知らない分野までも立ち入ってくることに対してのみ疑問があります。
 自分の専門のことは他人が知らなくて当然だと思います。私がしたコメントは、弁護士の先生のことを何も知らない失礼なコメントだと思います。ただ、自分が週で言えば1000時間以上の時間外労働しているときは、ぼろぼろでこんなコメントをする元気、時間はありませんでした。尻が自分で拭けないようなコメント、などと書いていることに、それが素人が目にするブログで展開することに疑問があったので衝動的に失礼してしまいました。
 
 論点が変に変わりそうで書きたくなかった新型インフルエンザに関しては、これまでの疫学、死亡者数、インフルエンザというものの不安定な特性、お役所の動きを見て頂いて、皆様どうお考えですか? 一般の医師と、公衆衛生を主眼においているものとでは話が違います。重篤な患者さんと、現在日本で誰も死んでいない病気とを私は同じ土俵で私考えることができません。インフルエンザではない、注目されていない病気に立ち向かっている医師の方が多いかもしれません。

こうやって、論点が全くずれていくんですよね。

 昔なら、30歳過ぎの若者?が酔っ払って裸になり、警察にからんで怒られた恥ずかしい話が、現在はどう扱われているかが知りたかっただけです。

 日本語がつたない理系頭の自分としては弁護士の先生方の論理、お話を勉強させていただいています。
 

 

>私は最初のコメントの時点で失礼を申し上げていると思っていました。
>ただ、常連さんから、弁護士の先生方のことをさも知ってように中傷され、知らない分野までも立ち入ってくることに対してのみ疑問があります。

 そういうのっけから喧嘩腰で先制中傷されてはネチケット違反ですねぇ。対抗言論で反論されて当然です。私の知っている分野であるサーバやネットワーク管理の技術職専門家の見地から,私からハンドル「外科医」氏へ注意(イエローカード)を進呈します。

 つまり,一般標準としても,言論で殴り込みをかけたら,対抗言論で反撃されて当然でしょうね(自己又は第三者に対する正当防衛・緊急避難)。そんな児戯にも等しいバカバカしい紛争を事前に防ぐため,常識的なモラルとしてネチケットができたにすぎません。

先生
新型インフルエンザの件は場違いです。

下記に用意されています。
http://www.yabelab.net/blog/2009/05/09-080551.php

外科医先生、レスありがとうございます。

先生のご専門である医学と法律との大きな違いとして、医学部で医学を学んだ人の多くは専門職である医師になられますが、法学部で法律を学んでもほとんどの人は裁判官や検察官、弁護士などの専門職や大学教官の道には進まず、普通のサラリーマンや公務員になっている点が挙げられます。

このため、医学の世界では医師と対等に医学を語れる素人というのは存在し難いと思いますが、法律の世界では、ハスカップ様のように法曹専門職らと対等に法律論を戦わせることができる素人というのが存在するのです。ですから法律専門職ではないからといって、法律を「知らない分野」と捉えられるのは先生ご自身の目を曇らせるのではないかと思います。

もちろん、裁判所での具体の手続き論等になると、素人には「知らない分野」(できれば知りたくないです)ですが、そうした部分は、主に現職警察官として逮捕状請求等の実務に詳しい感熱紙様や、法曹実務に詳しい弁護士の方々が反論・指摘されています。もちろん彼らにとっては「知らない分野」ではありません。

確かに、ご指摘のような罵りあいに近い部分もあるかも知れませんが、それはパブ弁!様などの言説や投稿姿勢の問題もありますので、五十歩百歩的な部分であると思います。

ただ、そうした雑音的な部分もありつつ、ここでのやり取りの中では現在の司法の課題や法律論が語られていますので、それはそれで勉強になると思いますよ。

私のような素人はまさに「見てるだけ」ですが、別に司法試験合格などの特別な資格がなければコメントを書き込んじゃいけないブログじゃないですから、先生が専門外の司法分野に首を突っ込まれたように、誰でも自由に書いていいんじゃないですかね。その代わり生兵法で飛び込むと手痛い返り討ちに合うかも知れませんが(^^;

同じ専門職である弁護士の方が「素人」に攻められているのをご覧になられ、「素人」であるマスコミに攻撃される先生方医師の立場に投影し反射的に書き込まれたのかもしれませんが、どういう意図をお持ちだったにせよ、特定の方々(HNを特定された訳ではないですが)に対し「失礼なコメント」と自認されている書き込みをされるのは、場が荒れるもとですのでお控えいただいた方がいいのではないでしょうか。先生が、場の荒れを気にして書き込まれたのなら尚更。

これまでの数々の失礼の段、ご寛恕ください。先生のご健康とご活躍をお祈りしております。

弁護士の中には、秘密交通権を有することを利用して、被疑者に対し「供述の利益誘導」により供述のねつ造を行う人がいます。

そんな弁護人いませんよ。悪質なデマ、印象操作は厳に慎むことを命じます。

貴方は「秘密」で一括りにしたいのかも知れませんが、捜査官と弁護人では、立場が180度違うことをお忘れなく。

捜査官は、被疑者に不利益なことを喋らせることが「手柄」になるのに対し、弁護人は、被疑者の利益を擁護するのが職務です。

したがって、取調室の密室性は虚偽自白へ容易に結びつくのに対し、接見室の密室性は供述のねつ造(笑)に結びつくことはあり得ないのです。そもそも、そんなことしても何の得もありません。

もちろん、『「弁護人が供述をねつ造している」というプロパガンダ』なら、いくらでも存在しますけどね。

理念的な問題は別として、裁判所からその言を信頼されない弁護士に弁護される被告人は不幸だと思います。

基本的に、裁判所が信頼性を判断する対象は、被告人の言い分であって、そこに弁護人個人に対する評価を介在させるべきではない、させてはならないと思いますが。

それを許せば、裁判官が個人的に敵愾心を抱いている弁護人がつくと被告人が不利益に扱われるということになり、ひいては、例えば忌避や異議の申立てが躊躇されることになりかねません。(裁判官の逆恨みを買って、将来、別の事件で不利に扱われることを心配するという萎縮効果)

あの弁護士が言うのだから信頼しようという方向の考慮であればともかく、あの弁護士だから相手にしない、信用しないなどという発想が許されるはずもありません。

>あの弁護士が言うのだから信頼しようという方向の考慮であればともかく、あの弁護士だから相手にしない、信用しないなどという発想が許されるはずもありません。

 本気で言ってますか?

>>弁護士の中には、秘密交通権を有することを利用して、被疑者に対し「供述の利益誘導」により供述のねつ造を行う人がいます。
>そんな弁護人いませんよ。悪質なデマ、印象操作は厳に慎むことを命じます。

 ネチケットを踏まえての「命じます」発言ですか?

 それならこれはどうなるのですか?

>裁判官によっては、最初から押印した白紙令状を裁判所に用意しておいて、警察に持って行かせるという運用すらありました。
http://motoken.net/2009/04/23-093811.html#comment-7518

>厳に慎むことを命じます。

はぁ? 「命じます」って言ってのける貴方様は、一体何様なのですか?

弁護士さんが人間的にどれほど偉いのかどうか私は良く分かりませんが、貴方様の言葉の端々に人としての本性が窺えるように思えるのが残念です。

 弁護人から被疑者・被告人に対していろいろな観点から質問を行えば任意性に関する問題も浮かび上がってくるものです。
 
「弁護人において、任意性に疑いのないことや虚偽自白等でないことの確認が取れない」場合というのはどういう場合なんでしょう?  あなたは自分の事情聴取能力に自信がないのですか?  弁護人が任意性の有無や信用性の有無を判断できなければ、誰がどうやって被告人の利益を守るのでしょうか?

どうも、不当な現状を安易に追認するご意見のように思われてなりません。

御指摘のとおり、被疑者・被告人を通じて、取調べの状況をうかがい知ることはできますし、その努力をすべきことは勿論です。

ただし、法律的に無知な、そして、しばしば知的能力にも恵まれない被疑者・被告人を通じて様子を推知するのは、容易なことではありません。

結局のところ、弁護人自身が取り調べに立ち会ってチェックをすることが、最も直接的かつ効果的というべきです。そして、それを捜査官が拒む以上、「弁護人の立会いを拒まざるを得ない事情」がある、すなわち、任意性に問題のある不公正な取調べをしているものと理解せざるを得ないわけです。

「被疑者から接見で聞けば分かるだろう」というのは、不公正な現状に甘んじ、これを事実上追認するものではありませんか?

>KT先生

実際のところ、担当している具体的事件の話などはなかなか書けない上に真実性も保障できないため、著名事件を引き合いに出さざるを得ないのはご了解下さい。
了解しました。
確かに先生の言われるとおりであり、私の反応が些かナイーブすぎたようです。
失礼しました。

そこの所は詳しくお話を伺いたいところです。
すいません、その辺りは具体例を出すと守秘義務に抵触する上に身元が割れてしまう虞があるので・・・。 ただ、一般論として、警察の場合は検察と比べて「令状の発付が至急必要な状況」というのが頻繁に発生します。 例えば、内偵捜査中に対象箇所に盗品や覚せい剤とおぼしき物件が搬入されたのを確認した、とか、覚せい剤使用被疑者が任意採尿に応じず逃走しようとしている、とか、そういった令状が必要な一分一秒でも惜しい状況が発生した際に、厳格に必要要件を審査し、なかなか令状を発付してくれない裁判官よりも、事件の重要性を警察の捜査の必要性を認識し、その点に配慮をして頂ける裁判官の方へ請求を行いたいと考えることは「まあありそうは話だ」と思うのです。

追伸;
 
>厳に慎むことを命じます。
 
 今来メールによれば「たとえ裁判官や検察官でも命令権の行使となれば、法令上の根拠(根拠法令)と適正な手続きに則った発令がないと違法な公権力の行使で人権侵害でしょうw いわんや民間人の弁護士なら有効な契約に基づく要件事実を満たした命令でないと。それでも「自力救済の禁止」に反して契約の命令権条項が無効の可能性が高い。もっとも弁護士でこんなこと知らない人がいるわけがない。普通の常識でもあるぞよ。」とのことですが?

 上記のパブ弁!さんが自白事件であると認定した公判請求事件において、供述調書の原則不同意(全部または大部分の調書の不同意)という弁護活動を行った事件は何件くらいあるのでしょうか?

絶対的な件数についてはノーコメント。

そもそも「調書を原則不同意にしたのが何件あるか」という表現に疑問を感じます。繰り返しますが、証拠の基本は人証であるべきで、質問するのであれば、「刑事訴訟の原則をまげて、重要な調書について同意するという例外的取り扱いをした、そうせざるを得なくなったことが何回あるか」という方向にすべきと思います。

その上でですが、私自身、そのような選択をせざるを得なかったことは複数回あります。しかし、最終的には被告人の理解を得た上で、原則どおり書証不同意、人証でという方針によることが割合としてはもちろん多いです。


 追加してお聞きしますが、パブ弁!さんは合意書面を作成された経験がありますか?

作成を持ちかけたことは何回かありますが、検察官が拒否しました。もっとも、口頭主義・直接主義の見地から言えば、その拒否は別に問題とするに足りません。


 パブ弁!さんは、日本に司法取引を導入することについては賛成ですか反対ですか?

質問の趣旨というか、これまでの議論とどうリンクさせたいのか分からないのですが、「理念的にはそのような方法もあってよい。しかし、刑事訴訟の現状をそのままに、司法取引を導入すれば、人権侵害が更に目に見えにくくなる危険が大きい」とお答えしておきます。

弁護人は、被告人の真の利益、広い意味での利益を考えて行動するわけですが、その途中過程では、被告人と意見が一致しないように見える局面もあるし、被告人が表層的利益に囚われて正しい判断をできない時期もある。さらには、裁判所から、被告人と弁護人の離間を図る策動もある。(この辺の実態については、http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/yasuda0611.html
の安田先生の講演録、最後の3分の1あたりに詳しいです)

一口に司法取引といっても、どの時点で、どのような方法で、誰が判断するのかが問題ですし、その取引の妥当性を判断する基準をどこに置くかという困難な命題もあります。

>一口に司法取引といっても、どの時点で、どのような方法で、誰が判断するのかが問題ですし、その取引の妥当性を判断する基準をどこに置くかという困難な命題もあります。
 
 法律の専門家なら、ハスカップ氏のように場合分けしたり、諸外国法制との比較をすればいいじゃないですか。お手本はハスカップ氏が詳細に示したから、それを援用したら?

そんな弁護人いませんよ。悪質なデマ、印象操作は厳に慎むことを命じます。

以下は、私の経験した事です。
だから、ソースは無い。
具体的な話は、守秘義務に反するので言えません。
しかし、全く話さないのでは、何も伝わらないので少し話します。

1 某企業の強制執行妨害事件
 某社の社長宅の捜索差押えを実施したら、ノートを発見した。ノートの中身は、○○弁護士からの指示と題され、社長、副社長、経理担当者に対し、捜査機関に対する供述の指示及び、証拠隠滅及び隠匿の指示が記されていた。
 逮捕後の供述もノートの内容と同じ。証拠物件の隠匿場所も同じ。

2 某外国人麻薬密売組織
 ここの組織の者が逮捕されると、毎回同じ弁護士が来る。接見に連れてくる通訳人は、その麻薬組織のボス。

3 某ヤクザの顧問弁護士
 ここのヤクザが逮捕されると必ず来る。逮捕手続き中に来る。本当に早い。夜中でも訪れる。仕事熱心で頭が下がる。彼が来て接見を終えたヤクザは、雑談には応じるのに、事件に関して黙秘に変わる。
 上級幹部クラスのヤクザに言わせると、その弁護士は仕事が出来ないらしい。本当に弁護して貰いたい時は、別の弁護人を頼むと言っていた。この弁護人は組織からの伝書鳩だと。

4 その他
 殺人や殺人未遂など故意が争われる事件だと、逮捕時は殺意を認めていた被疑者も、弁護士接見を終えると、高確率で殺意を否認します。

 取調べにより完オチした被疑者に聞くと、弁護士に「故意を否認すれば罪が軽くなる」と言われたと言っていた。
 こんな事を言った被疑者を何人か知っている。


全ての弁護士が、そうではありません。
こういう弁護士が存在するというだけです。
もちろん、接見内容を聞いているわけじゃないので、何を相談しているか分かりませんけど。


取調室の密室性は虚偽自白へ容易に結びつく/blockquote>

志布志事件、富山事件などありましたが、全ての捜査員がそうではありません。
悪質なデマ、印象操作は厳に慎むことを命じます。

取調室の密室性は虚偽自白へ容易に結びつくのに対し、接見室の密室性は供述のねつ造(笑)に結びつくことはあり得ないのです。そもそも、そんなことしても何の得もありません。

 あなたはかにさんのコメントをどのように読んだのですか?
 依頼者側(必ずしも被疑者とは限らない)に有利なねつ造を問題にしているのに決まってるでしょ。

弁護士の中には、秘密交通権を有することを利用して、被疑者に対し「供述の利益誘導」により供述のねつ造を行う人がいます。

 「ねつ造」と言うと、「虚偽供述をさせる。」という意味になると思いますが、被疑者に有利なようにねつ造を行う弁護士は珍しくありません。
 暴力団の組織的犯罪であれば、末端組員の被疑者に対して「被疑者に不利なねつ造供述」をさせる弁護士もいますよ。

 あなたは、他の弁護士が接見室でどのような話をしているかどうやって知り得ていますか?
 私は、被疑者や被告人からその手の話を何度か聞いたことがあります。
 弁護士になってからだってありますよ。
 前任者が辞任(または解任)されて引き継いだ事件などで、被告人に「なんでこんなことを供述したの?」と聞くと「前の弁護士さんがそう言えと言ったんです。」と答えた、ということもあります。

 もちろん全ての弁護士の話ではなく、多くの弁護士の話でもありません。
 そういう弁護士も中にはいる、ということです。

 意図的に「ねつ造」する場合でなくても、被疑者に法律の解釈の説明をしただけで虚偽供述を誘導する結果になることは普通にあります。

 経験を積んだ弁護士なら被疑者の供述を一定方向に誘導するのは造作もないことです。ねつ造はその延長線上にあります。
 そういうことが可能だからこそ「弁護士倫理」の観点から問題が生じるんですよ。
 できるけどやるかやらないか、できるならやるべきなのかできるけどやるべきでないのか、という問題ですね。

 かぶっちゃいました。
 それなりの捜査経験のある検事や警察官なら似たような経験を何度かしているはずですね。

どうも、不当な現状を安易に追認するご意見のように思われてなりません。

 あなたのご意見は、現実無視のご意見のように思われてなりません。

結局のところ、弁護人自身が取り調べに立ち会ってチェックをすることが、最も直接的かつ効果的というべきです。

 現在、弁護人の立会権は認められていません。

そして、それを捜査官が拒む以上、「弁護人の立会いを拒まざるを得ない事情」がある、すなわち、任意性に問題のある不公正な取調べをしているものと理解せざるを得ないわけです。

 あなたがそう理解するのはあなたの自由ですが、裁判所はそうは理解していません。

 被疑者・被告人が、まず求めているのは、動かしがたい現状を前提にした上での自分の最大利益です。
 被疑者・被告人に、あなたの理想論に付き合う義務はありません。

 刑事弁護を巡る現状に問題が多いことは私も認めますが、現状を変えるための運動論と個々の事件における弁護方針は別物と考えています。

ただし、法律的に無知な、そして、しばしば知的能力にも恵まれない被疑者・被告人を通じて様子を推知するのは、容易なことではありません。

 容易であろうがなかろうが、弁護人が問題点を把握しなければ、有効な弁護はできません。
 あなたは自分のスキルの不足を全て制度の問題に転嫁しているように思えます。

これを事実上追認するものではありませんか?

 大多数の刑事弁護士に対する侮辱ですよ。

基本的に、裁判所が信頼性を判断する対象は、被告人の言い分であって、そこに弁護人個人に対する評価を介在させるべきではない、させてはならないと思いますが。

「介在させるべきではない」と非難すれば介在させなくなるかというと現実にはそうでもないので、現実を前提にすると、弁護士個人の評価を下げると被疑者・被告人に迷惑がかかると思います。「評価」というか、単に嘘つきと思われるかどうかという問題ですが。

それを許せば、裁判官が個人的に敵愾心を抱いている弁護人がつくと被告人が不利益に扱われるということになり、ひいては、例えば忌避や異議の申立てが躊躇されることになりかねません。(裁判官の逆恨みを買って、将来、別の事件で不利に扱われることを心配するという萎縮効果)

こういうレスをもらうような気が、なんとなくしていましたが、裁判所に信頼されるということと、裁判所の言うことに唯々諾々と従うことは全く異なるものと思います(これは、異なる「べき」という理念ではなく、実際に異なるもの「である」と認識しています)。後者は信頼されるというより、「なめられる」というべきものでしょう。

まあ、私はあまり大それたことを話そうというのでなく、上述のとおり、嘘つきと思われたら信用されなくなるという程度のことなのですが。

光市事件上告審のときの騒ぎが思い出されます。

あのときも、「弁護士が変なことを吹き込んだのだ! 許せない!」という、情緒的・短絡的な反応が巷にあふれていましたね。


殺人や殺人未遂など故意が争われる事件だと、逮捕時は殺意を認めていた被疑者も、弁護士接見を終えると、高確率で殺意を否認します。

それの何が問題なのですか? 

捜査官の強圧的な取調べによって、半ば無理矢理「殺意」を認めさせられていた被疑者が、弁護人による理性的な説明や激励に意を強くし、勇気を出して真実を述べるということはしばしばありますね。

何が問題なのですか?

それから、

こういう弁護士が存在するというだけです。 もちろん、接見内容を聞いているわけじゃないので、何を相談しているか分かりませんけど。

この2つの文章を安易に結びつけるセンスがよく分かりません。

仮に、被疑者が「弁護人から〇〇と言われた」と述べたとしても、それだけで「弁護人が〇〇と言った」という認定ができないことは当然です。被疑者が、弁解内容を変遷させた言い訳として「以前の言い分は弁護人から指示されたものだ」などと口にしてしまうこともありますし。

もしも、弁護士が「私は虚偽供述を慫慂した」と告白している実例があるのであれば、是非是非ここに御紹介ください。

現在、弁護人の立会権は認められていません。

いいえ。黙秘権を実質的に保障するための担保として、憲法上、弁護人の立会権が認められると解されます。

現状は、捜査機関が憲法解釈を誤って、実力により弁護人の立会を排除しているに過ぎません。

百歩譲って、弁護人の立会権は認められていないという、人権保障軽視の解釈を採用したとしても、弁護人の立会いが禁じられているというわけではなく、取調官の判断で立ち会わせることは当然に可能です。

しかも、立会いを認めることは、その調書の任意性立証の上で決定的な意味を持ちます。大変な税金を浪費して一部録画方式のような妙ちくりんな手法をとらずとも済むので、公正な捜査機関にとっては、寧ろメリットになってきます。

にもかかわらず、頑として立会いを拒むわけですから、弁護人を意地でも立ち合わせたくない深刻な理由が、彼らにはあるということになります。

ところでモトケンさんや感熱紙さんは、捜査機関が弁護人の立会いを認めようとしない理由がどこにあるとお考えなのですか?

光市事件上告審のときの騒ぎが思い出されます。

関係有りですか?
それとも裁判官が騒いだ!とでも???

それと、弁護士の接見と取調室の状況はミラーですから、疑うなら双方同等に成りますね。

横レスですが

捜査機関が弁護人の立会いを認めようとしない理由がどこにあるとお考えなのですか?

見られると恥ずかしいからだと考えます。

http://blogs.yahoo.co.jp/saibanninn777/14222214.html

http://www.news.janjan.jp/column/0707/0707048319/1.php

すごいなあ。
弁護士には徹底的に性善説を適用して、それ以外の法曹と警察には徹底的に性悪説を適用するんだ・・・。

すみません。
コメントするべき順番が前後してしまいました。

そして、秘密交通権は保証されていますから、捜査機関側は、被疑者との人間関係を構築することにより虚偽の供述をさせないようにするか、他の証拠等により供述が虚偽であることを見抜き、それを証明するしかありません。

そうですよね。
捜査側にとって有効な手段って無いですよね。
コメントありがとうございます。

コメントありがとうございます。
モトケン先生の正直な意見が聞けて非常に勉強になります。
前の掲示板から腰掛け1年くらいROM専でした。
思うことがあって、思わずコメントしました。
若輩者ですがよろしくお願いします。

>捜査官の強圧的な取調べによって、半ば無理矢理「殺意」を認めさせられていた被疑者が、弁護人による理性的な説明や激励に意を強くし、勇気を出して真実を述べるということはしばしばありますね。

何故「完オチ」という言葉は無視し、自分に都合のいい言葉を付け加えたうえで「何が問題なのですか?」としれっと言えるのだろう?

>被疑者が、弁解内容を変遷させた言い訳として「以前の言い分は弁護人から指示されたものだ」などと口にしてしまうこともありますし。

うわ~、そうやって逃げるんだ。こういう人には依頼したくないなぁ。


もしも、弁護士が「私は虚偽供述を慫慂した」と告白している実例があるのであれば、是非是非ここに御紹介ください。

もし紹介できるなら、既にその弁護士を証拠隠滅でパクってます。
弁護士をパクった事が無いので紹介できません。


努力不足でごめんなさい。

こんばんは、ご返信ありがとうございます。
コメントを拝見したところ、同業の方とお見受けいたしますがいかがでしょうか?
もしそうであるならば、当然にお分かりになっているようなことを偉そうにコメントしてしまい、大変な失礼をしてしまいました。
若輩の浅学薄慮につき御不快な思いをさせたことを深くお詫びします。
よろしければ、今後ともお付き合いの程宜しくお願いいたします。


もしも、弁護士が「私は虚偽供述を慫慂した」と告白している実例があるのであれば、是非是非ここに御紹介ください。

これこそ自白偏重主義ですね。
弁護士の自白がないと,かにさんたちのご発言を信用しないというのですか? 

そんなに自信があるなら,取調室だけじゃなくて,接見室も可視化すればいいんじゃないですかね,というのは極論ですけど。

>かにさん

努力不足でごめんなさい。

皮肉だと愚考しますが,とてもおもしろかったです。
ご健闘をお祈りしております。

>光市事件上告審のときの騒ぎが思い出されます。

 光市事件におけるマスコミの反応や橋下弁護士懲戒請求教唆事件に関するこのブログの私や常連さんの反応をご存知ですか?


>それの何が問題なのですか? 

 供述の変遷はどっちにしろ想定内の話ですね。
 「逮捕時」つまりろくに取り調べを受けていない弁録段階で殺意を認めていた被疑者が、弁護士の「殺意を否認すれば刑が軽くなるぞ。」という言葉を聞いて殺意を否認する場合もあるでしょうし、何日間にもわたる厳しい取り調べに耐えかねて心ならずも殺意を認めてしまう被疑者もいると思います。

 もっとも私は殺意の認定における自供(殺意を認める供述)のウェイトはたいして重くないと思ってますけどね。

>いいえ。黙秘権を実質的に保障するための担保として、憲法上、弁護人の立会権が認められると解されます。

 はい、あなたがどう考えようと自由です。
 考えている限りにおいては。
 しかし、何度も言っているように、現行の制度に対する批判と現行制度下における弁護活動の当否の問題は別問題です。
 私は、弁護人の立会権が認められているという前提で私自身の弁護活動を考えることはできません。
 現時点でできないことを前提にしたら判断を間違えます。
 判断を間違えるということは、直ちに依頼人の不利益に直結します。
 (誤字をいくつか訂正)
 実務家として当然の考え方だと思います。

 ところで、パブ弁!さんは、取調べにおける弁護人の立会権を妨害されたことを理由として国賠請求を起こしたことがありますか?
 あるならその結果を教えてください。
 ないなら、なぜ提訴しないのかその理由を教えてください。


>ところでモトケンさんや感熱紙さんは、捜査機関が弁護人の立会いを認めようとしない理由がどこにあるとお考えなのですか?

 その質問に答える前に確認したいことがあります。
 弁護人の立会権を認めた場合、立ち会った弁護人は何をするんですか?

 あなたのスタンスがよくわかるコメントですね。

あなたがどんな答えを期待しているのかは知りませんが

ところでモトケンさんや感熱紙さんは、捜査機関が弁護人の立会いを認めようとしない理由がどこにあるとお考えなのですか?
弁護人の立会により得られるものが、単に被疑者の防御権の拡大でしかなく、事件の真相究明に何ら寄与する事がないからですよ。
何か勘違いをされているようですが、取調べの一部あるいは全部の録画が取調べの任意性や正当性の担保となりうるのは、任意性の有無の判断が裁判官によって為されるからなのです。
どれだけ綺麗事を並べ立て捜査機関を非難しようとも、被疑者被告人の代理人たる弁護人に、「取調べの任意性の有無」を判断するに必要な公正中立な視点があるとは認められないでしょう。
そういえば、私は以前こちら
適正な取調べに立会してどうするんですか?
まさか、取調官の追及に対して、任意に自白しようとする被疑者を制止するなんて事は考えてませんよねぇ?
そもそもが、被疑者被告人の代理人である立場の弁護人が、公平な基準を持って「適正な取調べ」を判断できるというのでしょうか。
もしそうであるのならば、是非ともその根拠について御教示願いたいものですね。
とお尋ねさせていただきましたが、御返答は頂けないのでしょうか?

ところで、パブ弁!さんは、取調べにおける弁護人の立会権を妨害されたことを理由として国賠請求を起こしたことがありますか?  あるならその結果を教えてください。  ないなら、なぜ提訴しないのかその理由を教えてください。

提訴を検討したことはありますが、実際に提訴したことはありません。裁判所の判断に期待できないからです。

もっとも、判決をある程度度外視した、問題提起型訴訟として展開することはあってよいと思いますので、よいタイミングがあれば、世に問うことがあるかも知れません。

>ところでモトケンさんや感熱紙さんは、捜査機関が弁護人の立会いを認めようとしない理由がどこにあるとお考えなのですか?

 その質問に答える前に確認したいことがあります。
 弁護人の立会権を認めた場合、立ち会った弁護人は何をするんですか?

必要に応じて被疑者に助言をし、又は相談を受けることに加えて、捜査官による違法な取調べがなされないように監視することになりますが、実際には、捜査官が、弁護人の眼前で露骨な暴行・脅迫に及ぶことは考えにくいところです。

したがって、弁護人の立会いを認めること自体が、違法捜査を抑制する大きな要素になると言えます。

弁護人の立会により得られるものが、単に被疑者の防御権の拡大でしかなく、事件の真相究明に何ら寄与する事がないからですよ。

そんなことはありませんよ。

任意性のない自白を証拠とできない実質的な理由の一つは、その信用性に重大な疑義があるからとされます。(いわゆる虚偽排除説)

弁護人の立会いによって、暴行・脅迫による虚偽の「自白」がなされることが防止されれば、誤った結論に至ることが防止され、ひいては事案の真相究明に寄与することになります。富山強姦冤罪事件を想起すべきです。


どれだけ綺麗事を並べ立て捜査機関を非難しようとも、被疑者被告人の代理人たる弁護人に、「取調べの任意性の有無」を判断するに必要な公正中立な視点があるとは認められないでしょう。

意味が分かりませんね。

弁護人の「立場」が中立でないというなら、捜査機関の立場も中立ではありませんから、警察官は「任意の取り調べであること」を公正中立に判断することはできないし、検察官には「任意性の立証」を行える公正中立な視点がないことになりますね。実際、そのような能力や資質に欠ける捜査官が多いことは冤罪の歴史が証明していますが。


適正な取調べに立会してどうするんですか?
まさか、取調官の追及に対して、任意に自白しようとする被疑者を制止するなんて事は考えてませんよねぇ?

「適正な取調べに立会いする」のではなく、「適正かどうかをチェックするために立会いする」のです。

また、仮に、取調べに暴行脅迫等がない場合でも、被疑者は、法律的知識に欠けることが多く、平常心を失っていたり、種々の事由で、近視眼的に「自白」しようとすることもありますから、場合によって、弁護人の判断で再考を促したり、時間を置いて冷静に判断するよう強く助言することもあるでしょう。


そもそもが、被疑者被告人の代理人である立場の弁護人が、公平な基準を持って「適正な取調べ」を判断できるというのでしょうか。
もしそうであるのならば、是非ともその根拠について御教示願いたいものですね。

皮肉でなく、貴方の問題意識が分かりません。貴方は弁護士の職責を理解しておられますか? 

No.130 モトケン さんのコメントを引用して回答とさせて頂きます。

 弁護人が任意性の有無や信用性の有無を判断できなければ、誰がどうやって被告人の利益を守るのでしょうか?

横ですが。

自分の言葉で語らず、他人の言葉の一部を切り取って使うのでは前後の文脈からして繋がってこない。

しかも卑怯なヤリ方としか見えないのが、決定的な失点かと。

パブ弁!さんは何か底が浅いなあ、と感じるのは私だけでしょうか。
もうこの語るエントリは意義が薄れた、勝負あった、というのが正直な意見です。

パブ弁!さんのコメントが前提とすると思われる見解の多くは、刑事訴訟法学者が述べていたり、弁護士会が主張していたりするもの、あるいはその延長(保釈の話が、裁判官に嘘をついていいという趣旨であればそれは違うと思いますが)であり、私も弁護士として問題意識を共有する部分もあります。

しかしながら、コメントがここまで反発を招くのは、書き方のほか、他の方も指摘されるとおり警察、検察、裁判官に関してあまりに挑発的、さらに言えば侮辱的な表現をされていること、またモトケンさんがこれも再三指摘されるように、運動論はともかく、現行の制度及びその運用を前提(無批判に追認するわけではなく)にした活動をしなければ依頼者の利益は擁護できないという実務家としての姿勢が、少なくともコメントには表れていないように見えることによるものだろうと思います。

例えば、被疑者取調の弁護人立会を含む可視化は進められて然るべきと私も考えております(ただし、現実に弁護士(会)がこれに対応できるかという強い不安はあり、申し訳ないところですが)。問題意識自体はわかりますので、この場でも、やり方を変えればもっと深い議論ができたであろうにと、残念にも思っております。
今からでも、時間を費やすに値するような議論になればと思います。

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ところで、No.226感熱紙(刑)さんの

弁護人の立会により得られるものが、単に被疑者の防御権の拡大でしかなく、事件の真相究明に何ら寄与する事がないからですよ。

を拝読して、私も、頭が「被疑者の防御権」というところからスタートしてしまうので、「単に被疑者の防御権の拡大でしかなく」との表現を目にすると、「立場が違えばそれはそうか」と妙に納得するところがありました。もちろん、弁護人が真相究明を考えていないわけではありませんし、警察が防御権を考えていないわけでもないでしょうが。
立場の違う方のご見解、ご認識をお聞きするのは勉強になります。

>必要に応じて被疑者に助言をし、又は相談を受けることに加えて、捜査官による違法な取調べがなされないように監視することになります

 あなたの考え方によれば、被疑者が被疑事実を認めそうになったら直ちに制止することになるのでしょうね。
 そして、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。

いつもはROMばかりなうえに、
いきなり大変不躾な物言いで申し訳ないのですが、
モトケン先生に置かれましては
煽りコメント(?)に踊らされているのでは
ないかと危惧しています。ご自愛いただきたく。

※本線の議論が空回り続きなのに
 スレッドとしては依然として
 学ぶべきところが多々あるところが
 驚異だと思います。

久しぶりに小倉弁護士のエントリからやってきましたが、驚きました。

> そして、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。

恐ろしい発想ですね。といいますか、“モトケン”という立場の方がこう言い切るということは、つまり「自白調書とは、常に被疑者に不利なもの」ということを断言しているわけですよね。これは検察が信用されなくても当然です。弁護士は被疑者が犯人なのであれば、むしろ積極的に自白させて反省の意をあらわすという手段も考えられます。物的証拠があるのに黙秘していれば、情状酌量してもらいにくくなるのではないでしょうか。といいますか、そもそも自白至上主義は冤罪の温床と言われているのに「被疑者に不利な自白調書」にこだわる感覚が理解できません。

こんな発言が“まかりとおって”いるのであれば、社会人としての常識を疑われる気持ち悪いブログだと評されても納得するしかありませんね。

では。

あの~ちゃんとこれまでの流れを読んでコメントしてます?
どこをどう読めば

つまり「自白調書とは、常に被疑者に不利なもの」ということを断言しているわけですよね。
のような異次元的読解になるのか教えてもらいたいです。
自分の読解力の無さを棚に上げて
こんな発言が“まかりとおって”いるのであれば、社会人としての常識を疑われる気持ち悪いブログだと評されても納得するしかありませんね。
などと放言する方に社会常識が存在するとは到底思えないような気がするのですが、いかがなものでしょう?

 あなたはいったい誰を批判しているのですか?
 私のNo.232のコメントは、パブ弁!さん宛のものです。
 従って、そのコメントの

あなたの考え方によれば、

というのは、「パブ弁!さんの考え方によれば、」という意味であることは明らかでしょう。

 そして、「パブ弁!さんの考え方によれば、」というのは、以下の文の全てにかかります。
 つまり、「そして、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。」というのは、「そして、パブ弁!さんの考え方によれば、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。」という意味です。

 そうは読めませんでしたか?

>つまり「自白調書とは、常に被疑者に不利なもの」ということを断言しているわけですよね。これは検察が信用されなくても当然です。

 なぜ,そうまとめることができるのですか?
 多少論理に飛躍があると思います。
 お手数ですが,興味がありますので,根拠理由をお願いします。

 少し内容的な面に立ち入って説明しましょう。
 私のコメントは、パブ弁!さんとの議論としてのコメントです。
 そしてパブ弁!さんは常に冤罪つまり被疑者に犯罪が成立しない可能性の存在を前提にして立論されています。
 冤罪の可能性を前提にした場合、捜査機関が構築した被疑事実を認める「自白」は当然に不利益な供述です。
 当然にという意味で「常に不利益」です。
 刑事裁判で問題になるのは、まず被告人についての犯罪の成否であり、情状は犯罪の成立を認めた後の話です。
 そして、犯罪の成否の場面では自白は当然に不利益です。
 しかし、犯罪の成立が認められた後の場面では、自白は(否認と比較すれば)有利な情状として考慮される可能性があります。

 mohnoさんは「弁護士は被疑者が犯人なのであれば、」と仰るけど、弁護士は被疑者が犯人である、ということを自明の前提として弁護することはあり得ません。
 常に、本当に犯人なのかどうかという問題を考えているのです。
 その問題場面においては、自白は不利益な供述です。

 ちなみに、法曹は(つまり私だけでなく他の弁護士も検事も裁判官もです。もし考えていないならモグリと言ってもいいくらいです。)、被疑者の調書を問題にするときには当然のこととして刑事訴訟法322条を頭において考えています。

第三百二十二条

1 被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。

2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

 つまり、この条文の適用においては、自白は不利益な事実の承認にあたります。

 あなたの考え方によれば、被疑者が被疑事実を認めそうになったら直ちに制止することになるのでしょうね。  そして、自白調書には絶対署名させない、ということになりますよね。

貴方は何でまたそのような極論に走るのでしょうか? 論理があまりにも粗雑というほかありません。弁護士として、弁護士への偏見を助長するかのような言説は謹んで頂きたいものです。


さておき、ここでも場合分けが必要になってきます。

そもそも、弁護人との接見時に被疑事実を認めているのか、そうでないのか。以下は、被疑者が一部でも事実を認めており、公判でも公訴事実を争わない見込みが強いことが前提です。

次に、取調べにおける任意性が完全に担保されているかどうか。いなければ、勿論署名させるわけにはいかず、これは弁護人として当然の対応です。

任意性はあるとしても、「自白」の内容が客観的事実や被疑者の記憶に合致したものになっているかどうか、表現として不適当な点はないか等のチェックも必要です。

また、被疑事実に関する「自白」以外の部分も重要です。前後の経緯や被疑者の内心、共犯者との関係等、情状に関する点について、被疑者の言い分が丁寧に録取されているかどうかにも注意を払わなければ